学生の活躍

約50年ぶりに復活した須賀川市本町『歌舞伎屋台』の再建に住環境計画研究室が貢献しました

地域の人々と関わりながら、文化継承の大切さと
まちづくりの在り方を学ぶ

 須賀川市本町に明治時代から伝わる『歌舞伎屋台』が約50年ぶりに復活しました。その再建に貢献したのが、建築学科住環境計画研究室(指導教員:市岡綾子専任講師)の学生たちです。1890(明治23)年につくられた歌舞伎屋台は須賀川の顔、秋祭りの主役として長年親しまれてきました。しかし、交通量の増加に伴い移動が難しくなったことから、1968年を最後に毎年の組み立てを断念、その後収納蔵に保管されていました。東日本大震災後、倉庫内を確認したところ屋台の部材が無事残っていることが分かり、2016年には町内会有志による『須賀川市本町屋台再建プロジェクト』が発足。再建に向けて動き出しました。台風19号による水害、新型コロナウイルス感染症拡大など、暗い話題ばかりの昨今、まちを明るく元気にしたいという町内会の方々の思いが、屋台再建の実現に拍車を掛けました。これまで須賀川市の様々なプロジェクトに関わってきた住環境計画研究室も参画し、部材の実測、図面の作成、組み立て作業などに携わりました。その中心となったのが、同研究室4年の谷島慶亮さん(写真前列中央)と松井栄里香さん(前列左)です。二人は卒業研究の一環として、屋台の再建に取り組みました。「歴史に興味があったことや、研究室にとって新しいテーマで前例がない分、一から勉強でき自分の成長につながると思って、研究テーマに選びました」という谷島さん。「地元三重県松阪市ではお神輿を担ぐお祭りがあり、屋台にも興味がありました。屋台が復活できたら、まちの活性化にもなると考えました」という松井さん。二人の話をもとに、どのようにして屋台が復活を遂げたのか、その軌跡を辿りました。

暗中模索の屋台調査作業の始まり

初日は蔵出しで奮闘

 本町の収納蔵に眠っていた屋台の部材の蔵出しが行われた9月6日。組み立て作業のため、部材はトラック3台分を2往復して、場所をご提供いただいた川合運輸の倉庫に運び出されました。本町町内会や須賀川市役所の方々と一緒に、学生たちも運搬作業を手伝いました。部材の点数は200余り。まるで半世紀の時を超えてタイムカプセルから目覚めたように、殆ど傷みがない状態でした。さて、これらがどの部分に使われるものなのかは検討も尽きません。しかし、よく見ると部材には「に六」といったような番付が書かれています。翌日から、学生たちは二人一組になり、番付が見えるよう丁寧に部材を拭き、ナンバリングした後に、コンベックスを使って全ての部材を実測する作業に取り掛かりました。授業の課題で作る模型とは規模が違い、実寸大の部材を測るのはかなりの重労働です。また、中には番付の違う新しい部材も混ざっていたようで、かなりの苦戦を強いられました。本当に全部の部材が揃っているのか、それも実際に組み立てるまでは半信半疑。手探り状態の中、屋台調査作業が始まったのでした。

試行錯誤の図面おこし

 その後3週間かけて、部材を確認しながら実測調査を進めていきました。作業を進めていくと、どうやら番付ごとに床組、上物、屋根などの構造種別になっていることに気づきました。実測をしながら、全部材を手書きで図面化しました。図面をおこしながら、あることに気づきました。部材と部材の間に円形の小さい滑車と金属のレールが設置されていたのです。それは360度回転する回り舞台であることを意味していました。舞台が回る移動式の屋台は全国でも珍しいそうです。谷島さんと松井さんは卒業研究を進める中で、屋台の歴史についても調べていました。歌舞伎屋台は福島県の一部の地域に存在する特殊なもので、南会津町田島にある祇園会館にも屋台が展示されていますが、部材は100弱ほど。本町の屋台はその約2倍の部材を有しており、大きさや回り舞台という構造においても、他に類を見ない唯一無二の屋台であることが分かります。回り舞台の架構についても推察しながら作図しました。試行錯誤しながらの図面おこしも終了。果たして、図面通りに屋台が組み上がるのか、その時はまだ不安な気持ちしかありませんでした。

感動が積み重なっていく組み立て作業

 いよいよ、9月28日から組み立て作業が始まりました。すでに大八車は初日に組み立てましたが、図面を元に、町内会の方々と学生10人ほどが力を合わせて、土台となる部分までを組み立てることに成功。回り舞台の要の滑車も思っていたよりスムーズに回りました。それが最初の感動の場面でした。しかし、その先は職人 技が必要になり、地元の星野工務店の方々にご協力いただくことになりました。学生たちは補助として作業をサポート。図面と現存する中で最も古い1897年の屋台の写真や1968年に祭りで撮影された写真などを手掛かりに、組み立て作業は進んでいきました。写真には写っていない屋台の後ろや屋根の部分は難航しましたが、30日目となる10月13日には骨組みまで完成。図面通りに屋台が組みあがった時、2度目の感動が湧き上がりました。彫刻など舞台の内装の装飾や“丸本”の刺繍が施された布幕を装着し、33日目となる10月19日に組み立て作業が終了。遂に歌舞伎屋台が復活の時を迎えたのです。それまで近距離で作業していたため、全容が把握できていなかった学生たちは、完成した歌舞伎屋台を正面から見て、その迫力と華やかさに大きな感動を覚えました。それまでの苦労が吹き飛んでしまうくらい、歓喜に包まれた瞬間でした。

復活した歌舞伎屋台が、再び秋祭りの主役となり
新たなまちづくりのシンボルとなることを願って

喜びを分かち合ったお披露目会

 屋台は高さ・横幅5m、奥行き6mの2階建てで、1階は二間造りになっており、20名程度が上がれる前舞台、10名程度が入れる裏部屋があり、2階は運行指揮者等の控え部屋になっています。屋根の部分は龍をあしらった金色の艶やかな彫刻で装飾されており、明治期の文化を漂わせています。こうして再建された歌舞伎屋台は、10月23日には須賀川市の橋本克也市長に、26日と30日には、地域住民の皆様にお披露目されました。

 谷島さん、松井さんら研究室の学生たちもプロジェクトのメンバーとして参加。この日を心待ちに、歌舞伎屋台の再建を推し進めてきた本町の近藤次雄町内会長(写真後列左から3番目)は、「学生たちが一生懸命やってくれたおかげで復活できた」と労いながら、「若い世代に伝統を引き継いで、地域の発展に繋げていきたい。学生さんにとってもよい経験になったと思う。この経験を活かして、将来まちづくりに貢献してほしい」と期待を寄せていました。町内会の方は「子どもの頃に屋台に乗って遊んだ思い出があり、それが復活して大変感慨深い。建築を勉強している学生さんだからできたことだと思う。この歌舞伎屋台を市の財産にして、子どもたちに残していきたい」と嬉しそうに屋台を見つめながら語っていました。屋台は今回試験的に再建されたため、一旦解体されますが、来年以降秋祭りなどのイベントに活用されていく予定です。市岡専任講師は歌舞伎屋台再建について、「何度か写真では目にしていた歌舞伎屋台でしたが、一緒に再建しようと声をかけていただき、こうして目に見える形で復元する機会に学生共々携わることで、文化継承の大切さを学び、地域貢献につながる研究ができたことは大きな価値があり、学生たちにとっても貴重な財産になったことでしょう。これで終わりではなく、屋台が担う地域の歴史を物語る存在意義をいかに継承すべきかなど、まだまだ地域の皆さんとの活動は続きます」と話し、今後の活動にも意欲を見せていました。

 

 

建築を通して人に夢を与えられる人になりたい

谷島慶亮さん

 毎回調査の後に調査報告書をまとめることは大変でしたが、仲間や後輩、多くの人たちと協力して完成した屋台を見て、この研究に携われてよかったと思いました。学生が直接まちの人や行政の方と関わる機会は少ないので、プロジェクトの一員として様々な人たちと触れ合えたことは、確実に自分の成長にもつながっています。完成した屋台に感動している人の姿を見て、喜んでくれる人がいれば、より一層やりがいを感じられることも実感しました。将来は、建築を通して人に夢を与えられる人になりたいと思います。

地域の人たちと関わりながら設計の仕事をしていきたい

松井栄里香さん

 自分たちが書いた図面がこうして形になったことに喜びを感じるとともに、このプロジェクトに関われたことを光栄に思います。屋台の装飾や星野工務店の職人さんの技術を間近で見られたことも貴重ですし、大変勉強になりました。今後は手書きの図面をデータ化し、さらに全国の屋台を調査して比較していく予定で、この研究を続けるために大学院に進学したいと思っています。今回の経験から、将来は地域の人たちと関わりながら設計の仕事ができたらと考えています。