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総合教育の川嶋正士教授がこれまでの研究成果により学位を授与されました

 3月28日(火)、総合教育の川嶋正士教授が専修大学より博士(文学)(文乙第十一号)の学位を授与されました。論文題目は『5文型の史的研究―統語分析が誕生してから文の公式が提唱されるまで』です。本論文は、川嶋教授が深化させてきた、英文法5文型の史的研究の成果をまとめたものです。
 日本では知らない人はいないくらい浸透した5文型ですが、どのような過程を経て誕生し、日本で普及したかという学術的な問いについてこれまで研究されたことはありませんでした。川嶋教授は2015年に公刊した『「5文型」論考』で英国において5文型の祖型が提唱されたことの経緯と目的及び教育史的背景について初めて明らかにしました(平成28年度国際文化表現学会賞受賞)。

 今回の学位申請論文では、その研究に加えさらに19世紀半ばに規範文法で統語分析が誕生し、英国に導入され、現代の学習英文法の基礎となる文法項目が整備されていく過程と、1880年代に日本に統語分析がもたらされてから1917年に細江逸記が『英文法汎論』という英文法書で日本で初めて5文型を提唱するまでの、国産英文法書で動詞の分類や述部の形式化が発展していく過程を時系列に従い明らかにしました。そして細江が5文型に立脚した科学文法書を公刊したことの理由と目的、さらには言語理論的な問題についても解き明かしました。

 本論文は、今後5文型を研究する方々がよりどころとする記念碑的な位置づけとなるものであると高く評価されています。
 川嶋教授に学位を授与された喜びの声とともに、研究への思いを語っていただきました。

Opening a Narrow Gate(狭き門をこじ開ける )

 私のライフワークともいえる5文型研究について、現時点での総まとめとなる論文が専修大学で審査を受け、博士の学位を授与していただきました。まずは、審査の主査を務めてくださった専修大学文学部の田邉祐司教授にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。教授は英語教育史の専門家であり日本英語教育史学会会長を務めていらっしゃいます。教授のご指導を仰げたことは大変光栄であり、私の学術レベルがさらに引き上げられたと感じました。

 海外では博士号はアカデミズムへのパスポートと呼ばれています。大学を含め高等研究機関に所属する研究者は博士の学位を取得しているのが常識です。特に米国では大学院博士課程を修了することは博士号の取得を含意しました。しかし、日本の、特に人文・社会科学と呼ばれる文系分野では、長きに亘り大学院博士課程に進学しても学位を取得できないことが当たり前とされてきました。私が在籍した上智大学大学院外国語学研究科でも博士は長らく誕生せず、設立以来20年近くたってようやく1名誕生しました。
 文系研究者が博士の学位を取得するためには、大学院を経てアカデミックポストについた後に、何十年もかけて研究した成果をまとめた論文を提出し、厳しい審査を受けることが慣例となっていました。博士号取得者の多くは50代後半以上の年齢であったように思えます。つまり、博士の学位はアカデミズムへのパスポートというよりは、研究者が研究生活の集大成とする類のものでした。私が1995年に工学部に移ってきたときも、文系で博士の学位を取得している先生はいませんでした。

 米国のように大学院に在籍し、修了した証しとして発行される博士号は課程博士と呼ばれます。これに対し、かつての日本の文系分野のように、長年にわたる研究をまとめた論文を審査した結果授与される博士号は論文博士と呼ばれます。論文博士は、大学院の在籍を前提とせず、論文のみを審査します。論文が博士の学位に相当すると認められれば、学歴は関係ありません。今の朝ドラのモデルとなっている牧野富太郎博士のように小学校を中退した人でも、論文の学術性が認められ博士の資質を満たすと認められれば博士号が授与されます。

 しかし、その門は極端に狭いものでした。日本では、前世紀末に論文博士号の授与が非常に少なく他国の学位授与実績に大きく後れを取っていることが問題視され始めました。今世紀に入ってから改善がなされ、文系でも博士課程に在籍する学生は課程を修了したのち、博士号を授与されるようになりました。
 科学技術・学術政策研究所の統計によると、現在では人文・社会系の博士の割合は他の分野よりも多くなっています。すなわち、今は文系研究者も博士課程修了とともにアカデミズムへのパスポートを取得できる時代です。しかし、今でも論文博士は依然として狭き門です。私が専任教授として兼担する本学の大学院総合社会情報研究科では、課程博士は毎年6~7名誕生しますが、論文博士は6~7年に1名程度しか認められません。

 私も博士課程を経て大学の教員になったときには博士の学位を持っていませんでした。以来海外の大学に留学したり国際会議で発表したりしてきましたが、資格の上では「パスポート難民」の状態であったといえます。国際会議や共同研究で私の学識を認めてくれる海外の研究仲間は、全員若いころに博士号を取得しています。そのような研究者たちはなぜ私が博士の学位を有していないかが理解できません。私も、その状態に満足はしていませんでした。
 このごろは、課程博士を輩出することに加え、私のように博士課程に在籍しながら課程博士を取得できなかった研究者のために多くの国内外の大学が遠隔学習(Distance Learning)によって博士の学位を授与するようになってきました。

 しかし、私はより狭い、厳しい審査で授与される論文博士の学位に挑戦することに決めました。論文博士は1本の論文だけで授与の可否が判断されるため、審査は非常に厳しいものとなります。申請にあたり、これまでの研究歴が審査されるのですが、十分な実績(著書、論文、国際会議での発表、受賞、科研費の獲得、役員経験などの学会活動等)がないと申請すらできません。しかし、私は自分が5文型研究でこれまでに築き上げた業績が申請を受理してもらえる水準にあると確信していました。

 申請が認められてから本当の戦いが始まります。以前に行った研究をまとめるだけではなく、新たに調査・研究して得られたことがらを論文に組み入れなければなりません。私が取り組んだ史的研究は膨大な資料を調査しなければならず、かなりの時間を要します。私の場合は2022年6月末に最終稿を提出するまで約5年かかりました。長い年月がかかりましたが、英語教育の研究仲間は「史的研究の論文を5年で完成させるのは稀有な事例だ」と認識していたりします。

 論文が審査され、博士の学位授与が決まったときは苦労が報われたと感じました。今回、専修大学で論文博士の学位を授与されたのは私一人でした。専修大学では、課程博士と論文博士の授与式を別々に行います。去る3月28日に専修大学神田キャンパスで私一人のためだけの学位授与式を開催していただきました。式には専修大学の学長、理事長、総長、大学院文学研究科長、論文主査に加え理事の先生方が私のためだけにご列席くださいました。このような式を開催していただいたことは大変名誉なことであり感謝に堪えません。30年以上にわたる研究と5年間の執筆の苦労が報われたと思いました。

Perseverance: No Useless Academic Training
(根気強く:無駄に終わるアカデミックトレーニングはない)

 私は、大学3年生の時University of Massachusetts at Amherstという米国の大学に留学して以来、経験的言語理論の最先端を行く生成文法というものを研究していました。大学院在籍当時スマッシュヒットかポテンヒットのようなものを2、3本打った気がしますが、そののちは大きな成果を上げられず、凡打や三振を繰り返す時期が長く続きました。

 研究は風車のように風がないと回りません。私の研究人生では、風が吹かない時期の方が長かったような気もします。しかし、研究を怠ったことはありませんでした。結果的に凡打や三振となりながらも毎年のように論文を発表してきました。諦めずに、そして絶えず研究を続けてきたおかげで風が吹いたその時に私の風車が大きく回り始めました。地道に研究を続けていれば、そしてその研究の方向性が正しく、還元性が高いものであれば、いつしか風が吹いてきます。その時のために、くじけずに研究を続けることは大切だと思いました。

 今から振り返ると、私にとって雌伏ともいえる時期は新しい研究の基礎を熟成させる時期だったかもしれません。私の5文型研究で、最初に大きなインパクトを生じさせたのは、日本の英文法で当然の教義のように教授・学習されてきた伝統的な5文型の編成が非合理的であることを指摘し、最新の言語理論の観点から代案を提示した研究でした。この研究では、若いころに受けた生成文法のトレーニングが英語教育における英文法の分析に役立ちました。

The Unknown behind the Known(定説の背後に新規な知見を見出す)

 また、5文型のようにこれまで定説だと思われていたことを新たな角度から見直せば、そしてそれが大きな定説であれば、なおさら常識を覆す大きな波及効果を持つ知見が得られることもわかりました。
 先行研究のない、これまで解明されていない研究に挑むことに大きなやりがいを感じましたが、時折行き詰まりを感じ、先に進めなくなることもありました。そのたびにRobert Robinsという英文法史研究家が言った『Pioneers always have the hardest part, and always make mistakes.(パイオニアは常に最も難しい部分を担う。そして、常に間違いを犯す)』という言葉を心の頼りとして研究してきました。

 パイオニアの研究は、最も苦労する類のものです。時間とともに更なる新規な知見が披露されますが、その新規な知見もいつしか時代遅れになっていきます。いかなる分野の研究も100年後になお定説とされるものはないでしょう。1つの研究結果が100年後に依然として最新の定説とされているとすれば、その分野の研究は100年間停滞していたこととなります。
 現在5文型の史的研究に関しては私が先導的な役割を果たしているところではありますが、この先、私の研究を踏み台として、私が示した知見を覆すような研究が発表されることは、5文型研究がさらに深化することとなります。そのようなことが起きるのであれば、こんなに喜ばしいことはないでしょう。

To The Great Ocean of Truth(真理の大海へ)

 本論文が現時点での私の5文型研究においての集大成と言えますが、私が構想する5文型研究の中では全体の3分の1程度を終えた程度です。研究の結果大きな扉をこじ開けたと思ったら、その向こうにはさらに大きな扉が現れたりします。次々に現れる新たな研究課題への扉を前に、今でも毎日研究にいそしむことができることに幸せを感じます。