遺すべきもの
教授 浅里 和茂
かなり古いけれども医療系の海外ドラマのおはなし。死期が迫った医師が終焉の場所として選んだのは
ハワイ。離婚のため遠くに住むティーンエイジャーの一人娘を呼び寄せる。そこで彼が彼女にいくつかの
事を伝えようとして,車の運転に使ったのはマニュアルトランスミッションのピックアップトラック,も
ちろんまともに走るわけもなく。カーステレオのカセットテープ!?からはトッド・ラングレン,当然彼女
のお好みではない。サーフィンのために買い与えたのはロングボード,でも彼女の視線はサーフショップ
のイケメン。いやはや時間というもののギャップはいかに残酷なものか。
“ふてほど“のようなタイムマシンがあるはずもなく時間は一方通行で,かつ絶対的なもののはず,1秒
はセシウム原子のとある振動周期の91億9263万1770倍と決まっています。けれど人間の感覚的には相対的
でもあって90分の授業は永遠に終わらないかのように永く,年齢を経るほど1日は短くなって感じられます。
1日の相対量がこれまで過ごしてきた日数に対する値だとすると,私は1/23600日,小学1年生なら1/2200
日,1日が短いわけです。でも人間同士より人間と地球との時間のギャップ,タイムスケールの違いはそ
れ以上かもしれません。
耐震設計に関わるものとして地震を知ることも大変重要ですが,ここにも時間のギャップが横たわりま
す。私自分が体験したり,強く意識するようになったりした地震の最初は1976年宮城県沖地震から。その
後に1983年日本海中部地震,1984年長野県西部地震,1993年北海道南西沖地震,そして1995年兵庫県南部
地震から2004年新潟県中越地震,2011年東北地方太平洋沖地震,2016年熊本地震,2024年能登半島地震へ
と続いています。この間にもう少し小規模な地震は多数あり,揺れを感じられないものも含めれば毎日何
度も日本のどこかで発生しています。しかし1995年神戸の大災害ですら,ギャップが風化させようとして
います。
ここ最近報道されることの多い静岡以西の南海トラフを震源とする巨大地震は過去に津波被害も甚大で,
連動性や周期性があります。現在から近いのは昭和東南海地震1944年12月7日,昭和南海地震1946年12月2
6日,これ以前が安政東海地震1854年12月23日,安政南海地震1854年12月24日です。昭和で約80年前,安
政はさらにその約90年前,それ以前の記録からは約100年から150年の間隔で起こったとされていて危険性
が高まっていると考えられています。また昭和の東南海と南海の間は2年,安政ではわずか1日の差で揺れ
に襲われました。およそ100年のうち2年はすぐ,1日は直後とも言え,連動性があると言われる理由です。
この地震は一度発生すると大きな被害となるため断片的なものを含めればおよそ1000年前の古い記録にも
残っていますが,江戸以前での災害記録は文化的基盤がない地域ではあいまいで欠落もあります。福島県
では一例として1611年の会津地震の記録があり,さすが城下町です。このように地震のタイムスケールは
人の世代を超えて,大きなギャップとなります。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では,新宿超高層ビル群の長周期地震動による長時間の揺れの記
録動画がYouTubeに残されています。今後の記録(Record)はどうしてもデジタル化が主となりますが,
記録メディアの寿命は紙よりも短命です。アナログレコードがCDに置き換わられようとしている頃,未来
は円盤ではなく,メモリそのものを買うようになると思いました。でも現実はそれを通り越してネットワ
ーク越しに配信されていて,デジタル技術はこちらの予想の斜め上です。反面,レコードの売り上げが増
えてきているので,再生機器を後生大事に持っているのは少し自慢です。
今は何かを知りたいとき,ちょっとした調べ物をしたいとき,自分の脳の外部記憶のようにネットワー
クを使うのが当たり前になっています。AIもそうです。漢字を覚えるために何度も書いたり,公式を暗記
するために繰り返し使ってみたりすることは無駄なこと,余計なことと思われているとしたら少し残念で
す。これがギャップ,デバイドかもしれません。ところでYouTubeやGoogleって,バックアップは大丈夫
ですよねぇ。信じても良いですよねぇ。
かつてJSCA(日本建築構造技術者協会)の副会長は,とある審査会で“構造は体育会である”とコメン
トを残しました。これはスポーツの基本動作と同じくらいに,力の流れとか釣り合いを把握する能力はか
つて九九を勉強したときのように繰り返さないと身につかないとの意味でした。構造デザインとして秀逸
な形態も,その根本はニュートン力学で紙と鉛筆と電卓で対峙することに他なりません。
ところで,冒頭の医師は結局のところ「原理・原則」だけを父親として伝えたかったのではないかと。
最近,ふと,そう思います。
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