コロナ禍で知る言葉と文字の重さ

教授 濱田 幸雄

   つい先日,自分が学生時代どうしても行きたくていけなかったコンサートをBS放送でみることができ ました。タイトルは「伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”」です。放送日は10月5日 の午後8時から。引退コンサートから40年後の同じ日を選んで放送されたことになります。私達の年代に とって,彼女の名前はいろいろな記憶を呼び起こすトリガーの役割を持ち続けています。まさにターゲッ トは私ではないか。これは見なければという思いで見始めたのですが,歌の感動とは別の思いがどんどん 強くなっていくのをどうすることもできなくなってしまいました。それはオープニングから22曲目の「一 恵」で頂点に達しました。この歌は,彼女自身が横須賀恵という名前で作詞をしています。この歌を紹介 した時の彼女の言葉と,歌を聞いたときの印象,あふれ出るほどの思いを冷静な言葉を用いて説明してい た彼女の強い心の在り様に,40年の時を経て初めて気づきました。このとき,彼女はまだ21歳です。歌詞 の一文にある「彼は,夢だと,人は言う」とは,大切な異性のことでしょう。「母にもらった名前通りの 多すぎる程の幸せはやはりどこか寂しくて」と彼女は歌います。ここで彼女は初めて『はは』ということ ばを口にします。この後から歌のリズム,音程が微妙に揺れ始めます。この一言が,どれほど彼女にとっ て重いのか,またこの一言を口にするために,どれほど彼女が緊張していたのかを感じ,一層歌に引き込 まれてしまいました。一曲おいた次の曲が「秋桜」なので,その前振りではないかと思うひとが多いかも しれません。私は,人は時に全身全霊を傾け,たった一言を口にするものだと思います。そうして思わぬ 展開を招き,失ったものもあれば,得たものも多くあったように感じるから。まさに言葉の重みでしょう。  新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い,世界中がホームワークを余儀なくされています。当然,連絡 の手段は電話かメールということが多くなります。特にメールで自分の状況を報告するとき,頼み事をす るとき,あるいは謝罪の気持ちを伝えようとすると,多くの人が悩むのではないかと想像します。親しい 友人同士であれば,絵文字ひとつで「了解」「頑張って」の気持ちを伝えることができますが,まさか目 上の人や教師に絵文字を送る人はいないでしょう。  言葉だけでなく,文章やメールによるコミュニケーションが今まで以上に増えることが確実視される中, 私たちはどうすればよいのか,ここでよく考えてみる必要があると思います。実際,学生の皆さんからの メールが以前にも増して多く届いています。中には差出人が誰なのか,どの授業を欠席したことを話題に しているのか,まったく分からないものが結構な数あるのが現状です。そのようなメールを受け取った教 員は,カタカナで記された苗字などわずかな情報を基に,学生番号や氏名を検索し,履修名簿を開いて科 目名を確認する作業を行わざるを得ません。ちょっと落ち着いて考えれば,学生番号も氏名も送っていな いことに気づくはずです。余裕がないのでしょう。結果的に相手の立場に立てていないのです。会話と異 なり,文字は残るということも忘れてはいけないでしょう。返信のために以前のメールを読み直して,不 快な思いを追体験するようなことになりかねません。  せっかく何度も読み返してもらえるメールを送るのであれば,より円滑な人間関係を構築するツールと なるようにスキルを磨くことを考えるべきです。日本語の文章は漢字,ひらがな,カタカナの3種類の文 字を使います。漢字とひらがなを適度に織り交ぜた文章は,堅苦しさを感じさせず,親しみ感すら与えて くれます。また,日本の漢字はとても情報量が多いという特徴を持っています。漢字研究者の笹原宏之教 授によれば,「思」と「想」という2つの漢字ですが,発音は同じで意味もほとんど同じように私たちは 使っていますが,違いがあると言います。「想」は会えない家族や恋人について,懐かしさや愛しさと共 に思い起こす時など,特定の状況でよく使われるとのことです。また,日本語は色を表現する漢字の数が 多いことも特徴です。「赤」は火の光を浴びる人の様子を表した象形文字,「紅」はくれない,べにいろ, 鮮やかな赤色を表します。だから真っ赤に燃えた太陽であり,曼珠沙華は真紅な花でなければならないの です。語彙力も重要です。感動を表現するにしても,「感動した」ではなく,「心打たれました」「胸に 響きました」「感銘を受けました」など素敵な言葉が沢山あります。  話言葉や文字の使い方は,時代と共に大きく変化します。しかしながら,人々が自分を豊かに表現して, 周囲の人と良い関係を築くことができるための大切な道具であることは,いつの時代でも同じだと思いま す。語り掛ける相手が目の前に居なくても,丁寧に相手とのコミュニケーションをとるよう心がけること が何より重要だと思います。