「虎の穴」としての工学部

教授 速水 清孝

 隣県で育ちながらも,福島は,長いあいだ私にとって縁のない土地でした。にもかかわらず,大学 生の頃より,その福島の郡山にある日本大学工学部は,いつも頭の片隅にあった場所でもありました。  それはおそらく,大学生の私が研究に接し始めた,そのごくごく初めに目にしたのが,近代建築史 がご専門の谷川正己先生の研究だったことと無縁ではないように思います。  もっとも当時私は建築計画の研究室に籍を置いていましたから妙な話なのですが,しかしそのこと 自体が,どうやら私の関心がその頃からむしろ歴史の方にあったことの証拠となるでしょうか。  建築家フランク・ロイド・ライトの研究で知られた谷川先生のお仕事は,続き物として論文に振ら れた番号が,その当時たしか130番台だったように思います。まだ一編の論文すらものにしていない 私にとって,それはあまりに遠く果てしなく,ただただ驚嘆するばかりでした。  そんなある日,谷川先生の論文を読んでいて,記された所属にふとした違和感を覚えました。そこ には日本大学の,理工学部ではなく,工学部とあったのです。  現在の理工学部が戦前には工学部だったことは知っていましたから,「何かの間違えか,あるいは 誤植か」と思ったのでしたが,思えばこれが,工学部との出会いでした。そして,「その工学部の場 所は?」と調べると東北,福島の郡山とあり,そのことを知って,さらにいぶかしく思いもしました。  そこからしばらく経って,大学院時代の所属研究室の,遥か雲の上の先輩になる日本建築史の碩学 狩野勝重先生も工学部におられることを知ります。そこに至って私には,「研究をするなら中央に いないと」と言われるなか,首都圏から離れた場所で気を吐き続けるお二人を擁する郡山の工学部が, あたかも『タイガーマスク』の「虎の穴」のように見えてきたのでした。  『タイガーマスク』の「虎の穴」と言っても,あまりに例えが古くて,何のことやら,でしょう。  『タイガーマスク』とは,劇作家梶原一騎の原作で,1969(昭和44)年から2年間,テレビアニメと しても放映されたプロレス漫画で――私もリアルタイムで観たのではなく再放送でしたが――,その, タイガーマスクの名でリングに上がる主人公伊達直人がレスラーとしての修業を積んだのが,スイス のアルプス山中に拠点を置いた「虎の穴」です。  この伊達直人の名前自体は,児童施設にランドセルを贈る奇特な人がいた出来事で東日本大震災の ころ話題になりましたから,ご記憶の方もおありでしょう。その現実の世界での伊達直人は,この漫 画の主人公の名を採ったものとされています。  現実の伊達直人よろしく,プロレスラー・タイガーマスクとしてデビューした漫画の伊達直人は, 慈善事業が過ぎたのか――この辺りはさすがに記憶が怪しいですが――,古巣の「虎の穴」から何故 か裏切り者扱いされて――ここもやっぱり怪しいのですが――,次々と強敵を送り込まれていきます。  その,元々は伊達直人自身が修業をして,後に彼を倒すために送り込まれる強敵レスラーたちが修 業をしていたのが,人里離れた場所に人知れずある猛者のたまり場,梁山泊としての「虎の穴」なの です。  建築や都市の「普通」を知りたい。それゆえ「特殊であり過ぎる中央でなく,地方に」と考えた私 にとって,郡山の「虎の穴」こそが向かうべき場所と思うようになるのに,そう時間はかかりません でした。  その後,縁あって狩野先生の後任として一員に加えていただくことになります。谷川先生はそのこ とを,ご自身の退職後なくなっていた近代建築史の講座が12年ぶりに復活したとしてことのほかお喜 び下さり,狩野先生もそれまで一面識もなかった後輩を温かく迎えて下さいました。  また,あてがわれた部屋は,長く歴史研が使ってきた部屋でこそなかったもののその隣で,矢作英 雄先生が使われた部屋だったとうかがいました。建築家吉田鉄郎が築いた旧郵政省の建築部に籍を置 いた身としては,その吉田鉄郎の後半生を支えた矢作先生の部屋を使わせていただくのは光栄この上 ないことでした。  そのように始まった「虎の穴」での生活で,しかし私にとって全くの想定外であったのは,獰猛な 虎が住むと思っていた「虎の穴」の学生が思いのほかおとなしかったこと,などではなく,私自身が 「虎の穴」の指導者になることでした。つまり私は,「虎の穴」の一員になることを願ってはいたも のの,「虎の穴」での立場を考えていなかったのです。  しかも,そうこうしている間に,赴任した際におられたそれぞれに個性的な「虎の穴」の指導者た ち――長く籍を置かれた方に限れば,若井正一先生と倉田光春先生が同時に,そして松井壽則先生, 三浦金作先生と続き,今年は土方吉雄先生――が定年を迎えられ,気がつけば凡庸の塊のような私が 年齢だけは中堅になってしまいました。このことははなはだ不安ではあります。  それでも,折しも「日本一教育力のある大学」を標榜し始めた本学,分けてもこの工学部を,私が 外から見ていたときに感じたような「虎の穴」にしたい。このことが,今の私にとっての密やかな願 いなのです。