大学・社会での学び

教授 出村克宣

 私はある付属高校のSSHクラスの運営指導員をしていて,高校3年生が約3年間をかけた 研究の成果を英語で発表する研究発表会に参加しました。それまでも何回かの発表会,ポスター 展示などを行っていますが,英語での発表会とあって生徒たちもかなりの練習を重ねました。 発表の一週前には,北海道在住のSSH運営指導員が発表を指導し,大学に在籍する留学生が 英語による質疑応答の練習に加わったと聞かされました。国際会議に参加したつもりで質問し てみると,回答に戸惑う場面もありました。そんな時は英語で,「あなたは・・・と発表した でしょう。私はそのことについて・・・と思うのですが,YesですかNoですか?」と質問した。 すると,Yes・Noの明快な回答が返ってきた。これは国際会議の場で海外の研究者が助けてくれ た質疑応答の方法である。研究発表会を終えて,生徒たちには充実感がみなぎっていた。その 充実感・成功体験が若者を成長させることになる。その後の会議で,「高校生のプレゼンテー ションはすばらしいもので,一週間前の生徒とは思えない成長ぶり」と話題になった。   そのような成長は,環境に大きく依存するといわれます。宮竹貴久著「『先送り』は生物学 的に正しいh究極の生き残る技術」(講談社)には,〈最近の進化生物学研究の成果が示すの は,「遺伝だけでは生物の運命は決まらない」という事実である。これは「表現型の可塑性」 と呼ばれる〉と記されており,「生物は育った環境により遺伝に修飾が加えられ,遭遇した環 境に合うように自分を変化させる。図形やパターンを認知する能力は30%,文章力は86%,素 直かどうかは50%が環境によって決まり,内向きか外向きかは60%近くが育ちに左右される」 と記述されています。このような観点に立てば,将来社会で活躍する学生諸君に対して,教員 である私達はこのようなことを考えながら,限られた時間の中で諸君の成長を助ける環境を与 えなければならないと考えています。一方,見方を変えれば,どのような環境に身を置くかに よって自分自身の成長の度合いが違ってくることを意味しているのではないでしょうか。  先日東京で,電車のドアが開いたにもかかわらず,スマホを覗いている若者がホームに立って 降り口をふさいでいました。そして,電車の中では,多くの乗客がスマホの画面を覗いています。 私の学生時代の車内とは風景が異なっています。昔は,満員電車で,新聞を小さく折りたたん で読み,腕が他人にぶつからないように紙面をめくっていました。つまり,折りたたんだ新聞 がスマホに替わっただけであって,むしろ,スマホのページをめくる際に他人に迷惑をかける ことはありません。ある時「単行本が好きなのは,ページを折ったり線を引いたりできるから」 と言ったら,電子書籍の良さを説明されました。かばんに単行本を何冊も入れて持ち歩くこと はできない。電子書籍であれば,スマホやタブレットに何百冊も入れて持ち歩ける。マーキング, 文字の拡大,語句の検索も可能で,暗い場所でも読書できる。実は,携帯電話を使い,パソコ ンで原稿を書き,傍らに電子辞書があるにもかかわらず,その良さに気付かないことが時代遅 れでした。道具(ツール)は違っても読書という行為は同じです。又,最近では,初等・中等 教育でも情報通信技術(ICT)の導入が進んでいます。そうした環境下では,昔と異なる学 習能力も鍛えられるでしょう。講義ノートを取りながらの学習に加えて,プロジェクターで示 した内容をスマホで写し,それを利用した新たな学習能力が諸君に芽生えていることを期待し ています。  新しいツールでこれまでにない学習能力が備われば,若者は新たな感性を育てていることに なると考えています。学生諸君の成長をお手伝いできるような環境を造りあげていきたいと 思っていますが,諸君自身も様々な環境の中に身を置いて自分自身を成長させてください。  マルコム・グラッドウェル著「天才!成功する人々の法則」(勝間和代訳)の中に,「一万 時間の法則」という記述があります。ある心理学者の調査によれば,世界レベルの技術に達す るには,どんな分野でも,1万時間の練習が必要だと記述されています。4年間の学修期間を 計算すると,授業は半期(半年)に15回,定期試験に合格し2単位が認定されます。省令では 「1単位の授業科目を45時間の学修を必要とする内容をもって構成することを標準」としてい ます。従って2単位を修めるためには90時間の予習・授業・復習を含む学修が求められている わけです。卒業のためには126単位以上が必要であり,2単位90時間を4年間重ねたとしても 5670時間,1万時間に届きません。だから,専門力を備えた一流プロになるための1万時間へ の到達は卒業後の学修にゆだねることになります。学生諸君は建築を学ぶ大学生として,ま た卒業後には専門性を備えた社会人として学び続け,成長してほしいと思います。(工学部長)