風に吹かれて
教授 浅里 和茂
ボブ・ディランがノーベル賞を獲っちゃいました。授賞式は欠席,記念講演会は延期になったよう
ですが,受賞拒否とはならずに関係者もホッとしていることでしょう。「欲しくもないけど,そんな
に言うのなら貰っといてやるよ」みたいに,着崩したモーニングで出てきたり,記念講演の代わりに
記念ライブがあったりしたら楽しそうだと,外野から見物です。今年は発表時からディランの話題ば
かりの報道で,日本人がせっかく受賞したのに他の部門も含めて霞んでしまったほどです。
2000年以降はあまり間隔をおかずに日本人が受賞していたこともあって,毎年期待が膨らんでしま
います。小柴昌俊氏以来,同じ分野の研究者が続いて受賞していることから,物理学賞の素粒子やニ
ュートリノという言葉も良く聞きました。ニュートリノは宇宙から降り注いでいて,地球も通り抜け,
人体も通り抜けていると聞くと妙にむずがゆい気になります。ジャングルジムに向かって小石を投げ
たら通り抜けてしまったような感覚なのでしょう。昨年の受賞はニュートリノの質量,つまりニュー
トリノ振動についてでしたが,このニュートリノ振動を表現するマトリックスが構造力学の座標変換
マトリックスに似ていたのには驚きました。こんなにも小さなものを相手にしていても結局は宇宙を
対象にしているのと同じらしく,なんと壮大なことです。
宇宙が相手となると大きすぎますが,宇宙=Spaceとしてしまえば私たちに近づきます。そう,建
築はSpace=スペース=空間を作り出しています。ただし,こちらは囲ったり,区切ったりして空間
を作り出します。スケールが小さくなるのは,基本となるのが人間の大きさであり,日常的な行動半
径であるためです。野原で野球はスペースとは関係ありませんが,柵ができ,観客席ができればそこ
に空間が生まれてきます。極端な言い方をすれば,ダイヤモンドの線さえ描いてしまえば野球場とい
う空間が出来てしまう,何もないところからでも空間を作り出すことができるのです。宇宙の一部を
切り取って,大きなスペースを細分化することにより人間が生活し,仕事して,楽しむ空間を作り出
すことが建築です。
空間の基本は身体感覚ですが,用途によっても必要とされるボリュームは変わってきます。国立競
技場のような巨大な空間でも一人一人の座席の空間は身体で決定されますが,全体は競技の種類や収
容人数でボリュームが決まっていきます。そういえば最近は映画館や劇場のシートスペースが広くな
ってきました。昔のように詰め込めれば良い,から快適でなければ集客できない,への変化です。こ
れは社会的・経済的な要求空間の変化なのでしょう。
個人にとっての快適な空間,落ち着く空間は好みの違いはあってもその差はあまりないはずです。
現在の個室が6畳,約10m2,天井高2.4mだとして,その10倍の100m2,24mに6畳分の家具を置いても落
ち着きのないものになってしまい,いろいろな区切り方をしたくなります。それこそ桁違い,オーダ
ーの差にはならず,せいぜい2倍程度までが個人差となるはずです。このときに,なにも壁で区切る
必要はないのが面白いところです。例えば飲食店などでテーブルとテーブルの間に植木を1本置くだ
けで,簡単なプライベート空間が完成します。都市部の住宅などは,この区切り方の工夫の集積みた
いなものです。わずか15坪程度の敷地に対して木造3階建て住宅で個室3室以上に加えて駐車場1台,
なんて頭が痛くなります。建築面積11.8m2,延床面積65m2の東孝光「塔の家」には及びませんが,ネ
コの額に建った家,日本人の得意技と言えます。
何もないところから空間を作り上げていくのが建築ですが,それを書き表すのが図面になります。
3D-CADやCGが発達してきたとはいえ,2次元の図面での表現が基本であり,まだまだ当分これは変わ
りそうにありません。3次元の立体物を2次元に落とし込む,逆に2次元の図面から立体を感じ取るこ
とがやはり必要です。以前,IT関連のシステムエンジニアと建築図面を前に光ファイバーの経路を相
談していたとき,平面図で高さ関係の指示をして驚かれたことがあります。私自身はまったく意識し
ていませんでしたが,やはり自然と身についていたのだと,建築を学んだ者の特技だと思いました。
授業で苦労した甲斐があったというものです。
地面から離れることのない建築を作りながらも,空間=Spaceという概念で宇宙とつながっている
と思えば,ちょっぴりだけど微笑みたくなりませんか?
2010年5月に種子島から打ち上げられたイカロスは,太陽光子の風に吹かれて公転軌道をお散歩中。
ボブ・ディランがノーベル賞なら,30年後には佐野元春も。無いな! (学生担当)
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