揺らぐ建築の安全・安心

教授 森山修治

◆はじめに  建築の安全に対する信頼が揺らいでいる。2005年の姉歯元一級建築士による耐震偽装問題に 続いて“杭打ち工事会社”の施工管理者による杭打ちデータの改ざんが発覚した。当初は耐震 偽装問題と同じように個人のモラルの問題かと思われたが,意外な広がりを見せ,一企業にと どまらず業界全体の体質の問題に発展しつつある。耐震偽装は第三者の専門機関による図面確 認が可能であり比較的容易に判断できる問題であったが,竣工後の建物の杭が強固な支持層に 実際に達しているか否かを知るには,目視や図面では確認できずボーリング調査等が必要であ り多額の費用がかかる。また,仮に施工不良が確認できたとしても是正工事は容易ではなく, 深刻な問題である。これは、近年の建設工事の細分化・分担化と無関係ではないのでそれにつ いて考察する。 ◆防災分野の設計の細分化  建築設計の分野は大きく分けて建築意匠・構造・設備に三分され,防災という独立した分野 は一般的には存在しない。また,一口に防災といっても対象となる災害は地震・雷・火事・津 波・洪水・火山噴火・テロと多岐に渡る。地震を例にとっても,構造は鉄筋コンクリート造・ 鉄骨造・木造あるいは耐震・制震・免震と分かれ,天井落下対策は建築意匠の担当となり,天 井設備機器や配管の落下防止は設備分野となる。インフラ途絶に対応した燃料や水の備蓄も設 備の分野となる。火災の場合は避難経路や内装不燃化の計画は建築意匠,耐火性については構 造,排煙設備や消火設備は機械設備,火災報知設備は電気設備の担当となる。津波や洪水・火 山噴火・テロについては災害の規模や被害について整理すらされていない。このように防災に 関しては一つの災害に対して担当分野が細分化されている。 ◆巨大化に伴う設計・施工の細分化  建物が巨大になるほど,仕事が細分化され建物の全体性能を把握できる人間が皆無となる。 たとえば,超高層ビルのケーブル火災の恐ろしさを描いた1975年の米国映画“タワーリング・ インフェルノ”でポール・ニューマンが演じた設計技師のように超高層建物を隅々まで知り尽く し,火災発生箇所に電源を供給している電力ブレーカーを適切に遮断できるようなスーパーマン は存在しない。実際の巨大建築物の設計は細分化や施工の下請け・孫請けによる分担化が進んで いる。この細分化と分担化の怖さは他者の分担部分の内容・精度がチェックしにくいこと,分担 作業の隙間に補いきれない穴が生じやすいこと,さらには責任感の欠如につながりやすいこと。 杭打ちデータの改ざんは,これらが表面化した問題である。 ◆建築設備と防災の共通点と相違点  私の専門は建築設備と防災であり,この二つの分野には共通点が多い。建築設備と防災工学, あるいは建築環境工学と火災工学は基本理論は同じである。火災の延焼は熱の移動によるもので 理論は建築環境工学で学ぶ伝導・対流・放射であり,火災に伴う煙拡散は熱い空気の移動であり ベルヌーイの定理やナビエ-ストークス方程式で解析できる。建築設備と防災が最も異なる点は 建築設備の設計・施工は竣工直後に結果が明らかになるのに対して,防災に関することは対象と なる災害が発生しなければ結果が現れない点である。たとえば空調設備は,猛暑や冷夏あるいは 厳冬や暖冬等の多少の違いはあっても,季節が一周する一年以内には結果が判明する。給排水設 備に至っては,不具合は竣工直後に水漏れや断水となって現れる。一方,防災は対象となる災害 が発生しない限り結果が現れにくい。南海トラフ大地震の周期は100〜200年と言われ,一般的な 建築物の火災発生率は,年間1000施設あたり1件(平成25年度版消防白書による)と地震よりも さらに低い。建物のライフサイクル(一生)のうちに遭遇するとは限らない事象である。防災は 被害予防策であり建物や施設, 事業性あるいは社会的信用にかける保険といえる。 ◆コミッショニング(性能検証)の必要性と個人のモラル  最近の建築設備の発注図には竣工後数年にわたる性能検証の項目と方法を記載し,工事の一部 としてコミッショニングを義務付けることが多い。通常,3年間にわたって建築主・設計者・施 工者が定期的に会議を実施し,建物のエネルギー消費量や温度・湿度の実績値と設計想定値を比 較する。実績値が設計要求を満たさない場合は原因を特定し,改善策を立案・実施し効果を確認 している。防災についても同様の検証が必要であり,その場合,様々な分野の専門家が相互に仕 事の完成度や精度を確認する必要がある。特に杭打ち工事のような竣工後の改善が困難な工事に ついては,施工段階において施主・設計者・施工管理者,あるいは第三者を含めた品質確認会議 が必要であろう。優秀な設計者・技術者であるには,個人のモラルや技量を高めることは当然で あるが,他分野の仕事内容の理解も求められる。大学の授業は建築を多方面から学ぶ絶好の機会 であり、是非、幅広い興味を持って学んで欲しい。