社会インフラの危機と建築技術者の役割

教授 湯本長伯

 今年も年度末・年度初めの季節となった。卒業して社会に出て行く人もあれば、新し く入学してくる人もある。別れと出会いの季節でもある。今回は、戦後日本のインフラ ストラクチュアがかなりの危機に瀕していることを踏まえ、そうした戦後日本社会の問 題点に対して、建築技術者が出来ること為すべきことを考えてみたい。1996年から2003 年まで、日本大学工学部建築学科の大学院講師として講義を持たせて貰っていた時、我 が国の建築業界は深い不況の海に沈んでいた。いま私は就職委員を務めているが、当時 の就職状況はかなり悲惨なもので、九州大学教授として何度も地元の企業に足を運んで お願いしても、なかなか採用しては戴けず特に女子学生が非常に厳しい扱いを受けたこ とを今でも忘れ得ない。建築を志す人も激減して、寂しい想いをする毎日であった。  しかしその中でも色々な変化が始まっていたので、その頃から「空間革命研究会」と いうものを始めた。当時関係していた病院のシステム(建築という容れ物だけでなく、 様々な要素機能を含んだ病院全体の仕組み)を考える中で、電子カルテが次第に本格的 に普及し始めると、伝票を持って廊下を駆け回る看護士さんの姿は激減し、サーキュレ ーション空間も含めて平面計画に大きな変化が出つつあった。同様のことは美術館博物 館でも学校建築でも始まり、私の前任校の創立者で学長であった吉武泰水のグループが 確立した「建築計画学」の成果=設計資料も、社会(ニーズ)の変化と技術革新等(シ ーズ)の変化により、相当な見直しが求められつつあった。2013年に10年振りに本学に 戻って来た時には、上記の研究会も様々な人が加わった上で、日本建築学会の研究会と して色々な成果も出るようになっている。しかし研究の進め方として、実は大きな問題 点が横たわっている。  一方で、高速道路の天井が落ちて尊い人命が失われる事故のように、先の東京五輪に 象徴されるような超特急の工事で造り続けて来た我が国のインフラがあちこちで破綻に 近づき、その危険を考えると愚図愚図している訳には行かず、急いで目の前の対応を行 い安心安全な社会を再建しなくてはならない。既に行われた種々の検査や試験工事等に よれば、そこに必要な工事量はかなり膨大なもので、それに必要なお金も必要な技術者 も資材も相当な量であり、簡単には出来ないものとなっている。これを考えると建築技 術者の為すべき仕事は膨大で、仕事が無い就職先が無いという時代は全く過去のものと なったかのようである。これから幾ら頑張っても、2020年の東京五輪までにせねばなら ないことは膨大で、しかもその後に過去の後始末もしながら社会を維持して行くことに なると、とてもではないが今後半世紀以上、とてもやり切れない仕事が待っているから である。しかしここにも前記と同じ大きな問題点が横たわっている。  それは一言で言えば、我が国社会の未来の姿が見えないということである。社会イン フラで言えば、何から何まで片端から直してしまって良いのか、それは本当に必要なの か、それが良く分からないということである。一人一人に話を伺えば、何方も早く治し て下さいと言われるであろう。それは当然である。しかし少し視野を広げて見直してみ ると、僅か数人しか住んでいない谷の向こうの集落まで、立派なコンクリートの橋を架 け直す必要があるのか?あるいは架け直す力が我が国社会に残っているのかという疑問 が生じる。明日に全てを委ねて走って来た我が国社会が、いま初めて社会構造の設計を 本気で考えねばならない時代に入っている。しかも「空間革命研究会」に関して触れた ように、社会の側でも大きな変化が否応なく生じていて、過去に造ったものをただ造り 直すだけでは全く解決にならない時代にもなっている。いま各地で生じている改修設計 や建て直しのプロジェクトに関して、アドバイザーや関連委員会委員を依頼されること も多いのだが、何も考えずに改修されようとする場合には先ずこの点を強調して、出来 る範囲で将来計画を一緒に考えて、それから計画を進めるように努めている。このとこ ろ福島県浜通りのK病院や静岡県のM美術館などに関わっているが、うっかりただ進め てしまうと大変なことになりますよと言って、煩いと思われても未来に残す問題をなる べく小さくしようと努力しているところである。  その中で考えることは、建築技術者にとっていま最も必要なことは、新しい技術の習 得や適用ではなく、建築の原点に戻って「社会はどう在るべきか?」を考えて行くこと だと思うのだが、若い方々はどう考えるだろうか?社会に出て日々の仕事に頑張って下 さい。でも「この社会はどう在るべきか?」を考えることも、忘れないで下さい。入学 して設計演習の初めに悩み考えた、あの日に戻って。