CCD,技術者への教訓

教授 濱田幸雄

 温故知新,その出展は論語である。「子曰わく,故(ふるき)を温(あたた)めて新しき  CCD,この意味をご存知だろうか。Colony Collapse Disorder,日本語では蜂群崩壊症候 群と訳される。アメリカでは2006年から2007年に養蜂の25%に当る大量のミツバチが消えて いる※。なんだ,ミツバチの話か,蜂蜜の値段が上がるぐらいのことだろうと思ってはいけ ない,大変な問題なのである。アメリカで年間20億ドルの売り上げを誇るアーモンドは,ミ ツバチがいなければ生産できない。オレンジ,レモンなどの柑橘類においても事情は同様で ある。現代の農業において,果実,種子を大量生産するためには,人工的に大量繁殖させた ミツバチがいなければ,受粉が成り立たなくなっているのである。ミツバチの異常減少は, アメリカを始めとする多くの国の農業にとって深刻な問題となっている。  日本においても2008年の秋頃から,ミツバチの急減が業界内でささやかれ始め,農水省が 情報収集に乗り出し,さらに外国から女王蜂を輸入するための交渉を始めている。  どうして世界規模でミツバチが減少しているのか,多くの科学者が問題の解明にあたって いるが,その原因は現段階でも特定されていない。農薬,ダニ,気候変動などのモデルが提 案され,消えているのが実情である。そのため,単独要因からいくつかの要因が複合してい るとの見方が現在優勢である。例えば,ある農薬は単独で用いた場合,生態系にほとんど影 響を与えないが,違う種類の農薬と混合して使うと,劇的に悪影響が現れる場合がある。ま た,農家にとって夢の農薬ともいわれる浸透性農薬の登場は,問題をさらに複雑なものにし ている。日本は世界でも有数の農薬使用国であり,私たちのまわりにもこの種の農薬を使っ た野菜が,知らないうちにかなりの量存在しているものと思われる。  農薬問題と同様に,ミツバチの成育環境も見逃せない問題になるという。秋から冬にかけ て,元気のなくなったミツバチには,コーンシロップが大量に与えられる場合がある。その 結果,蜂児の数は一時的に増加するが,タンパク質がまったく得られないために,ミツバチ の免疫力は著しく低下するのである。  科学者は,観察,実験を通して推論を重ね,事象を説明するモデルを構築しようとする。 多くのモデルは入力が1で出力が2であれば,入力を10にしたとき出力が20になるという, いわゆる線形モデルを基本としている。しかしながら,CCDはこのモデルを否定している。 入力データの組み合わせによっては,結果はまったく異なるものになることを表しているの だから。  では現在最も効果的なCCDへの対処法とは何なのか。それは昔ながらの方法でミツバチを 育てることだという。ミツバチにストレスを与えず,四季折々に咲く花の花粉や花蜜でミツ バチを育てるという方法である。牧草だけで育てられたウシが狂牛病に罹らないのと同じこ となのである。  自然は常に行き過ぎを修正する方向に働くといわれる。地震しかり。居住空間においても, あまりに快適すぎる環境は,ウィルスやストレスに対する人間の免疫力を低下させる。モバ イル機器への過度の依存は,生物本来のコミュニケーション能力を低下させる。そのため, 日本の人口が減少傾向に転じたとまでは言わないが,計算能力,情報処理能力は確実に低下 しているように思う。のび太がタイムマシンで未来に行き,3桁の掛け算を筆算で解いて一 躍英雄になったという夢物語が,漫画の中だけの話ではなくなりつつある。  CCDは,農業を産業化させてきた人類への自然からの警鐘であると説くひとは多い。人類 がその個体数において現在の繁栄を築くことができたのは,小麦,米などの穀物を栽培する ことができるようになったことによる。農作物をより大量に生産するため,農薬が使われる ようになり,人工肥料に改良が加えられ,水耕栽培が多用され,人工光源まで使われるよう になってきた。土から離れた農業に対する違和感を,現代人の多くは感じなくなってしまっ ている。  建築界においても同様なことが言える。超高層マンションの林立は,土に対する人々の執 着の希薄化によるものとは言えないだろうか。技術者は高さへの挑戦,強度への挑戦などの 命題のもとに,ひたすら新しい工法や材料の開発に挑んでいる。その結果,土から離れて一 年中温湿度一定の居住空間で生活している人間がどのような影響を受けるかについては,他 の研究者・技術者に委ねてしまい自分で考えようとはしない。人間が作り出した世界と,自 然界との絶対的な違いは,後者には数億年という時間フィルターの作用により「孤立」した 部分や「部品」がないということである。ある生物の消滅は自然界全体に影響を及ぼすとい うことである。私たち人間も,その自然界に存在する以上,科学技術の在り方がどうあるべ きか,今回の東日本大震災を機に考える必要がある。 (※詳しくは文春文庫,ローワン・ジェイコブセン著,ハチはなぜ大量死したのか,参照)