震災と為になる話

教授 倉田光春

 一生に一度や二度は,「何でこんなに悲しい目に会わなければならないのか,何も悪いことをしたわけでもないのに」と思うことがあるものだが,3.11の震災は,他人事ではなく余りにも悲しすぎる。地震,津波,原発と続き,津波は地震につきもの,原発の爆発メルトダウンに至っては,ある意味人災である。制御できないものに手を出しこの結果,生きる術という人もいるが,思い上がりである。30数年,応用力学を教えてきたのだが,実は,この歳になっても,解らないことが山ほどある。コピーアンドペースト的知識で知っている振りして伝えることができても,何故という自分自身の問に未だに答えることができず,授業中言葉に詰まることがある。「こんなとき,こうするとこうだ」と現象を説明できても,何故という問いに答えるその原理を説明することは難しい。震度6強の地震で我が家も軋み,被害を受け,大切な食器が割れて取返しがつかない。福島県沖の空白域で一時地震が多発し,これで郡山には震度5以上の地震が来ないだろう。土地は広く10年持てばいいと開放的に建てた我家は安普請である。羽蟻に喰われたが20数年よく耐え,地震前に直し,傾かずに済み幸いである。しかし,住むために直したが,放射性物質が積もり,恐らく資産価値ゼロである。庭で1μSv、なんと道路側溝入口で7μSvである。悲しいかな影響を推測するも本当のところわからない。目先の利に走りここまで,汚染が進んでしまった。50年前の阿武隈川は,白い砂浜があり,橋の上から川底が透けて見え,主流から外れた溜まり水の色はブルーである。土手に横になり眺める青空,午後から入道雲が,そして夕立,貧しくとも幸せな時代である。しかし,高度成長時代になり,上流にパルプ工場ができ,一気に汚れが進み泳げなくなった。その後,東京荻窪の親戚でも井戸の水が枯れ,美味しいお茶が飲めなくなり,何処でも自由に飲めた水も,買うようになる。今や,我家の水道水も飲んで良いものやら心配である。震災後の対応は,これまでの経験や科学知識を生かせず,運用の未熟さ故か後味が悪い。
 見えるものと見えないものをはっきり区別し,見えるものから見えないものをできる限り推し量るべきである。利益追求型のコピーアンドペースト的知識人ばかりが登場して不快だ。体裁を整えることはあっても,立場立場で痛みに見合う責任を果していない。責任はとらせるものではなく自ら測るものである。話しは変わるけれど,最近気がついた。携帯や電子辞書の文字を大きくしていたのである。これもパソコンの所為か,めっきり文字を書かなくなった。昔の教材が懐かしい。手書きである。我ながら一生懸命ていねいに書いている。今はパソコン上で作りプリントアウト。文章はもちろん図を描き,式を誘導し,計算結果をグラフにする。すべてパソコン上である。私の気持ち,学生に伝わっているのだろうか。演習,レポートは,ほとんど手書きで頭の中そのものである。だからつらい。考え方,画き方を教えたにもかかわらず,文字や図が踊り,式が跳ねる。0か6か,学生番号,氏名でさえ判読しかねる者がいる。多勢に無勢,目が腐りそうである。製図では,ていねいに描くのに,私の演習はこれでいいって,それは私に失礼だろう。そんなことはありませんと学生は言うのだが,本当か,それとも本当に画けないのだろうか。人は皆,現状を維持する性質があり,影響の大きさに比例して変わり,影響を与えた人も等しくその影響を受けるものである。これぞ人生の3法則。これから生まれた釣合,等しいという概念は,既知から未知を知る,見えるものから見えないものを測る技であり,使えば使うほど術に変わる,人生の転ばぬ先の杖である。考える力とこの術こそ,人生を支える原動力である。君たちは馬鹿ではないが天才でもない。急がず,時間と労力をかけ,ていねいに研き,着実に術に変えたら,必ずバラ色の人生が待っている。授業中仕方なく,「為になる話しを聞いて,感動している,そうだろう。君達もっと先生を尊敬し,大切にしなくちゃいけないね。」と言うのだが,なんのその一向に変わらず,目が悪くなる一方である。授業はじめに,「お早うございます。」返事は元気良く,終わりには,「先生,お手伝いします,黒板消します。」と言ってくれる学生が懐かしい。