ロハスな工学部

教授 出村克宣

 アメリカの社会学者と心理学者が,“Lifestyles of health and sustainability”という 価値観を持って生活している人々が増えていることを報告し,その頭文字をとって,ビジネ ス用語として,「LOHAS(ロハス)」が生まれたといわれています。直訳すれば,「健 康と持続可能性の暮らし方」となりますが,「心とからだ,そして,地球にやさしい暮らし 方」と解釈できます。持続可能性とは地球が永続的に存在することを意味しています。この ようなライフスタイルを志向している人々がアメリカやヨーロッパで増えているといわれて いますが,このような発想・概念は,古くから,日本文化の中に息づいていたのではないで しょうか。そのよい例が江戸文化といわれています。  江戸は,その当時,世界有数の大都市でありながら,完全リサイクル社会の形態を成し, 疫病も少なく,寺子屋が発達して識字率が世界最高水準にありました。江戸の美しさは,広 重の描いた「名所江戸百景」の浮世絵などからも想像でき,映画にでてくるヨーロッパの下 町とは比較にならないほど美しい都市であったことがわかります。その昔,外国の研究者が 江戸の街を訪れ,江戸庶民の排泄物を周辺地域の農家で肥料とし,そこで生産された野菜を 再び江戸の街で消費するリサイクル社会を見て大変驚き,本国で江戸文化のすばらしさを訴 えたという逸話もあります。そのような日本文化のすばらしさに感動して,最近では,ノー ベル平和賞受賞者であるケニアのワンガリ・マータイ女史が,「もったいない」を世界に通 じる環境標準語にしようとしているといわれます。そこで,ロハスに込められている「心や からだにやさしい」,「地球にやさしい」などの思想や問題意識は,古くから日本文化の中 にあり,私たち日本人のDNAにはその情報が記憶されていると考えています。そしてまた, 風鈴の奏でる音を聞いて,涼しいと思う心を持つ日本人の感性こそ,21世紀の地球環境問題 を解決する糸口になるのではないでしょうか。  日本人が培ってきた思想や感性を現代社会に生かす手法を見出し,それを具現化すること も大学の役割であると思っています。そこで,日本大学工学部では,このような日本人のD NA情報をロハスに置き換えて,「ロハス」をキーワードにした教育・研究活動にチャレン ジしています。「ロハスな工学部」や「ロハスの工学」などの言葉を使いますが,ロハスに 込められたライフスタイルを持つという意味で「ロハスな・・」,また,ロハスに込められ たライフスタイルのための(それに役立つ)という意味で「ロハスの・・」を使い分けてい ます。  ひとが集まって家族を構成し,その集合体として社会が形成されます。建築学は「ひと」 に最も近い工学分野です。そして,建築を学ぶ目的は,自然環境を考慮した上での安全・快 適で,心豊かな,活気あふれる生活環境の提供であり,その生活は住む・余暇・教育・労働 などから成り立っています。そのための空間と器の創造・構築,その集合体としての街や都 市の形成・環境整備の手法を学ぶことが建築学に求められます。このような建築学はまさに 「ロハスの工学」の実践の場です。  さて,そのための工学の学び方について考えるとき,技術者倫理の重要性を指摘すること ができます。最近話題になった耐震偽造の問題をみなさんはどのようにとらえているでしょ うか。広辞苑には,「倫理」とは,「人倫のみち,実際道徳の規範となる原理。道徳。」と あります。そのような倫理観はどうしたら身につくのでしょうか,それは,本物を知ること から始まると思います。ものの本質を知っていれば,越えてはならない一線を理解できるか らです。  一時期,ローテクとハイテクという言葉が流行したことがあります。これは,low techno -logyとhigh technology を日本語に置き換えた言葉ですが,果たして,technologyにlow (低い)とhigh(高い)が存在すると思いますか。例えば,おばあちゃんがつくるおいしい 味噌汁の味,その極意を聞くと,味噌汁をつくるとき,泡が一つでたら火を止めなさいと教 えてくれました。その意味を探ると,味噌汁を煮詰めすぎると,味噌のなかに棲みついてい るからだにやさしい微生物や酵素の効果が損なわれることになるということです。これは, まさにハイテクであり,おばあちゃんは微生物学者顔負けの本物を知っていたことになりま す。そして,そのような本物の伝承は建築学の中にも存在しています。同じ素材と調理器具 を持つ料理店が二つあり,いつも,片方の料理店に多くの客が集まるというとき,その違い はなんだろうかと考えてみます。素材の本質を知り,その日の天候を読み,お客の顔色を見 て,調理具合を微妙にかえると聞いたことがあります。冷めてもおいしいお弁当やおにぎり, 本物を知っているひとがつくってくれたからだと気づくことが大切です。そして,おばあ ちゃんの味噌汁,おいしいお弁当やおにぎりのもう一つの隠し味はビタミン「愛」ではない でしょうか。  学生諸君も,建築学の本質を学び,ビタミン愛を隠し味にするような,人にやさしい,地 球にやさしい建築技術者を目指してほしいと思います。  (工学部長)