「まちの風景」と「まちなみ景観」

教授 狩野勝重

 昭和45年頃だったでしょうか。私が川越の土蔵造りの町並み保存運動に拘わり始めたの は,一番街にある「万文」という煙草卸問屋の保存運動であったと記憶していますが,ま だ「まちなみ」と「景観」という言葉は,然程強い響きを持って受け止められてはいなか ったような気が致します。  「万文」建物は,奥行きの深い敷地の奥の倉庫から荷物を表の通りまで引き出すために トロッコのレールが敷かれ(トロッコのレールが敷かれていた土蔵造りの商家はもう一軒 お茶亀がありました),蔵の配置もコートハウス的イメージと地窯で焼かれた煉瓦積み塀 があり,当時の若き?建築の学徒であった私には大変に魅力的に映ったものでした。しか し,一方では,当時の一番街の黒い土蔵造りの町並みを眺めながら,「これ以上町並みが 暗くなったらどうしようか」などとも思ったりしていたのも事実です。この当時,倉敷に おいてはアイビー・スクエアが計画されていた時期でもあり,伝統的な空間を残している 其処此処の町で美観条例が制定されるようになっていました。歴史的町並みが話題になり 始めたころのことです。因みに,「万文」建物は,市に買い上げて戴けるように様々な働 き掛けを致しましたが,最後の裏技?で,指定したい物件があるにも係らず,売買には上 屋の解体が前提になる筈であるから」と屁理屈を並べ立て,結果として建築物そのものを マイナス不動産に見立てた見積もりを提出して,運営は地元で責任を持つという条件で, 市が購人することとなりました。  この件が引き金になって,景観論争も盛り上がりをみせ,青年会議所をはじめとした地 元の人達の熱意もあって,昭和49年に川越の一番街は「伝統的建造物群保存地区対策調査」 対象地区として指名され,2年間の調査期間を経て,同51年3月にその報告書が完成いた しました。私が郡山に赴任(同年5月)する直前のことでした。  また,昭和41年に始まった東京丸の内のお堀端における故前川國男氏設計の東京海上火 災ビルの建設をめぐって,それまで頑なに守られてきた高さ31mの取り決めを繰り広げら れた美観倫争は強いインパクトを社会に与えたのも未だに記憶に残っています。この美観 論争は同49年に東京都と東京海上の間で双方妥協して現在の建物となりました。その結果, 陸続と超高層ビルが建設されることになり,束京のスカイラインは人きく変わることになっ たと感じています。現在の丸の内は,さらに大きな都市景観の変化を齎すものと受け止め てよいでしょう。原宿ヒルズがスカイラインにこだわったのとは対照的な取り扱いです。  こうした流れの中で,景観は美観と共に同義語のように用いられていたような気がしま すが,伝統的建造物群の取り扱いにあっても特別に区別はされてこなかったようで,美観 条例と景観条例が混用されてきたのではないでしょうか。  都市景観という言葉が明確に謳われたのは,1986(昭和61)年に東京都の「都市景観懇 談会」(座長 芦原義信)が,「良好な都市景観の形成を目指して−都市景観は地域の共 有財産,景観への配慮は都市生活のマナー−」という意見書を上奏し,地域住民が主体的 に取り組むべき内容で,行政は先導的役割を押し付けではなく,下支えで行うという姿勢 を明らかにしたころからではないかと受け止めています。  ところで,現在,「福島県景観形成基本法」にあっては「磐梯山,猪苗代湖など,我が 国を代表するスケールの大きい白然景観をはじめ,幾多の歴史的・文化的遺産を有し,豊 かで優れた景観に恵まれています」とし,その中身は「優れた自然景観,歴史的・文化的 景観」と規定しているようですが,相変わらず「景観とは何か」が不明確なままのようで す。国土交通省の「景観緑三法」においても不明確だったのでしょう。「良い景観」を指 定する前に「悪い景観100選」を募り,悪いと感ずるモノを排除することから始められて います。方法論としては適切であると考えていますが,そもそも「悪い」とはどういうこ となのでしょうか。少なくとも,皆が嫌だという部分をなくしていけば,残るのは悪くな い部分ということになり,全体的に良い方向に向かうと考えてよいのでしょうが,いま一 つ納得がいきません。  そこで,少し視点を変えて「景色」,「風景」,「景観」という用語が何を意味してい るかということを考えて見ましょう。「色」・「風」・「景」・「観」はそれぞれに大変 に似通った言葉で,一文宇一文字の意味合いには微妙な相違があるようです。これらを組 み合わせた場合,どのような内容が強調されてくるのでしょうか。想像をたくましくして みましょう。  まず,「景色」ですが「光,姿,白然のおもむき」という内容と「人の顔色が微妙に変 化する」様子を組み合わせて,自然の有様を描写するのに適した言葉だと思います。  「風景」は「大気の動き,習わし,体裁」という全体の場向の展開を「光,姿,白然の おもむき」の中から切り取ったもので,自然のようすを風と光と影で捉えたものといえま しょう。すなわち,自然と人間界のことが入り混じっている現実のさまを言います。嘗て, 読売アンデパンダン展という新進画家集団を支えていた展覧会が開催されていましたが, その頃聞いた言葉に「風景面であっても写実的であることを必ずしもよしとはしない。す なわち,描く者が其処に何を感じているかをキャンバスに切り採る必要がある」という内 容があったことを思い出します。  このようにみたとき,私の中では「景観」という言葉が,「光,姿,風情,一纏りの場 面」と「観」の「注意して良くみる,調べてみる,意識」との組み合わせで,本質は,そ の視点でも対象物でもなく,その両音の「関係性」にあるものと受け止められます。  すなわち,「景観」という言葉は,現実に私達が身を置いている日常世界に視点を定め, それが快適で良好な生活空間であり,安全・安心・調和の取れた空問,文化的空問を前提 として「対象物と大きく乖離することのない関係性を築く」ことであると規定することが できるのではないでしょうか。巨大ネオン,真っ赤な看板,道路脇に林立する看板などは, まさに周辺の空間と乖離した世界であると言えるのではないでしょうか。「美しい国土づ くり」も,「景観条例」も,永い年月をかけて創り上げてきたこの国の生活環境を充分に 理解した上で,住民の世界観を反映させたものでなければなりません。