『幸せの器』

教授 岩ア 博

 世紀末となり,新しい価値観を模索するためか,書店の陳列台には,五木寛之氏の 「人生の目的」だとか,曽野綾子氏の一連の人生論エッセイなどが山積され,週間ベス トセラー上位に名を連ねております。これら書籍が共通して述べていることは,新しい 提案や個性的な指針のように見えますが,概して,各自の日々の生き方や生活のあり方 を通じて,究極の「幸せ」への道筋を示したものであるようです。  「幸せ」,この言葉のもつ意味合いについては,建築を生業とする私や皆様にとって, 無関心ではいられないはずです。建築を通じて,人々の生活を演出し,いわゆる「生活 の器」づくりに励む者にとって,このステージが「幸せの器」となることを願うからで す。さて「幸せ」の言辞,人は何のために生きるかは,文学者や哲学者にゆずるとして, 大多数の人の最大公約数は,多分,1.心身がより健康であり,2.文化的生活が可能 な多少の経済力と3.家族や周囲の人々の善意と愛情に包まれて生活する・・・という ことでしょうか。このような視点に立脚して,過不足はありますが国の施策や行政サー ビスがなされているのは,すでに御承知のとおりです。しかし,この3つの目標レベル は,受け手側の各自が設定することですから,到達は容易なようですが,客観的にみて, この条件すべてに恵まれた方が,多いか少ないかは,皆様に判断していただくとして, 前者の生き方は,表面的には,定形的でドラマ性に乏しく,AさんもBさんにも共通性 があり,法則性がありそうですが,後者は,充足されていない方の数だけの生活パター ンやそれに至るストーリーがあるようで,人の生き方に禍福があるとすれば,文学作品 でも「禍」の魅力を描写した文学が大部分で,福分豊かなストーリーは文学作品になり にくいようです。  話を元にもどしますが,自己の「幸せ」に至る道筋は,やや逆説めくことになります が,そのキーワードの一つとして,自己の「幸せ」に優先し,他者の「幸せ」をより多 く願い,行動することが最も近道ではないでしょうか。かつて,ある著名な建築家に 伺った話で恐縮ですが,彼は,建築をプロフェションとして良かったことは,「人の喜 びごとに立合えるからです」と述べていたのを記憶しております。もっともです。人が 生涯ただ一度,相応な努力と節制の証しとしての蓄えを投入,あるいは,企業が社運を かけて行う事業ですから,喜びが何にも増して大きいのは当然です。しかし,近年,マ スコミに,たびたび報道される欠陥住宅や建築物の暇疲(かし)をみるにつけ,「幸せ の器」の対極にある「不幸せの器」を提供された無念さが,ひしひしと伝わってくるの も事実です。  何故,このようなことが起こるのでしょうか。これは,建築に携わるものが,自己の 「幸せ」,すなわち,自己の利益や売名行為にスタンスを置きすぎるからです。かつて, この創建で述べたことですが,建築の憲法ともいうべき建築基準法では,国民経済の立 場から,誰でも,等しく「幸せの器」が入手できるよう,健康や安全の「最低」の基準 を定めているにすぎないわけですから,法に適合したからといって,一寸とした油断や ミスでも欠陥が生じやすいのに,自己の利益優先は論外です。建築士は,医師や弁護士 と並んで,公益を優先させる強い倫理感が求められ,他者に対し,限られた予算の中で, 「最低」を「最適」にするべく,努める義務があるからです。このことから,近年,建 築学会でも倫理規定を発表し,意識の向上に努めているところです。  生物には,何にも増して,自己の生命,すなわち,自己保存欲(エゴ)が強いのは当 然です。加えて,自己の生物種を残すための生物環境保存欲があり,ヒトを含め,生物 は,相矛盾する存在でもあるわけですが,生物種環境が自己保存欲とのバランスを失っ たとき,「トキ」に例をみるまでもなく,人智の限りを尽くしてもその種は,絶滅する のです。また,最近読んだ「ごきげんだからうまくいく! 坪田一男著」の中で,ある 種のコウモリは,種の環境保存のため,エサの採取行動時間が他の生物に比べ,夜間の ごく限られた時間と格段に少ない中,幸いにしてエサにありついたグループが,大部分 の空腹のグループに自己の血液を吸わせ,他者の生命をつなぎ,種の生環境を保存させ る努力しているとの報告もあります。さらに,激烈なビジネス社会のアメリカでも,一 介の自動車セールスマンから身を起こし,最大手の自動車メーカーのトップに昇りつめ た方が,あるとき,社員から,どうしたら自社のクルマが売れるのかをたずねられたそ うです。彼は,即座に,自社のクルマを売ろうとするな,顧客の生活がいかに豊かにな るかを実践しなさいと諭し,他者の利益が,クルマの販路拡大につながることを示唆し ています。  以上,述べたとおり,ヒトは誰しも「自」,「他」の相矛盾する中でゆれ動き存在し ています。建築を志し,「幸せの器」づくりに参加するものにとって,心静かに,とき に「幸せ」の本質について考えてみるのもいかがでしょうか。     (主任教授)