『自ら問うて学ぶ』

教授 倉田光春

 問うて学ぶと書いて・・学問。辞書によれば,再現性そして普遍性・汎用性のある知識 や方法などを体系化し,まとめたもの。それは「森羅万象,自然界の観察・模倣」からが, はじまりである。その理を推論・仮定することにより,それを確かめ,人々はそれを知識 として歴史の中で集積,人類の遺産・生きる術とした。それは,見た目,道端の石ころか もしれない。しかし,真に問うて自ら学ぶならば,エンジニアにとつても,アーキテクト にとつても,それは素晴らしい道具である。道具である望遠鏡や顕微鏡,それで垣間見る マクロ,ミクロの不思議な世界,学問はこれら不思議な世界を,新たに発見するための宝 物,あるいはダイヤモンドであるかもしれない。  苦手な数学,物理,化学そして図学など,これらはすべてエンジニア,アーキテクトに とっての道具。野球選手のバットとボールみたいなもの。選手になるために何回バットを 振り,何度ボールを投げ,捕球するだろう。上手くなるまでが大変。苦労する。止めたく なるのがこの時期だ。バットとボールを使いこなし上手くなれば野球は面白い。自ら問う て学び理解し,上手くなれば学問は何でも面白いはず。理解し上手くなるまでが我慢。ゴ ルフ,スキー,パソコン然り,何でも同じである。  道具は使いこなさなければ。使いこなしてこそ道具が活きるというもの。使いこなさな ければ人類の遺産の宝物の持ち腐れだ。道端の石ころも,磨けば,磨きようによってはダ イヤモンドになるかもしれない。しかし,磨き方は人それぞれである。・・・のように上, 中,下もあれば番外もある。最近では,並なんてものじゃなく,下の下,番外中の番外も。 これは個性,学習暦によるものなのだろう。誰でも,一途に磨けば,かたち,大きさは違っ てもダイヤモンドになる。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずである。  人類は森羅万象を壁面に写すことから創め,自然界のものを横から上から斜めから平面 に描き,そして何百年もの年月を経て,絵画の発祥の歴史のなかで透視図法を発見。そし て紀元前に大成されたユークリッド幾何学を基に,自然界を平面に写し取る技術として, 図学という学問が体系化された。また図学は再元の技術の学問であるところが面白い。そ れは自然を平面に写し取り,またそれを再現する。さらに,人がイメージしたものを平面 に描き,それを実物として具現化する。それを可能にする図学の手法は,もの造りの原点 である。  創ることは,遊ぶことである。図学という道具を上手く使いこなし,遊んで欲しい。も ののかたちは無限にあり,イメージを広げ,感性を刺激して,想像を超えた不思議なかた ちの世界を覗いてみよう。学問はエンドユーザーにとって,道具であり,道具を使い創る ことは,世界が広がり面白い。この自主創造の気風こそエンジニアを育ててきた工学部の 精神である。  すべてが地球規模化する今の時代,最も長けなければならない有力な道具は,パソコン と世界共通語になりつつある英語であり,特に,パソコンの普及は急である。インターネ ットにより,一般の人々が世界のあらゆる所と容易にアクセスすることができ,インター ネット上でさまざまな情報が無料で入手できるようになると,「知の解放」の本格的なは じまりである。そのとき,あらゆる従来のシステムが劇的に無に帰すのはあきらかであり, それも目前である。情報伝達が上下ではなく,フラットな関係となり,21世紀は,個人が これまでと比較にならないほど力を持つことになり,当然,個人の能力とその可能性を十 分に活かし,開花させることのできる新しい時代である。その反面,ヒト,カネ,モノそ して情報に対して,「最終的に個人が決める」ということが当たり前の,自己責任の時代 でもある。冷静に判断するだけの知識と知恵が必要だ。  それこそ,情報を,知識,知恵をパソコンに自ら問うて学ぼう。持っていない人は,今 すぐに購入しよう。情報弱者にならないための,未来のあなたへの投資だ。それを考えれ ばノートパソコン約20万は安い。ワード,エクセル,パワーポイント,メールなどを上手 に使い,上手くなろう。  最後に,情報が伝わり,流れるためには,世界の文化の多様性の維持,地域の歴史と文 化,その個性の強化は不可欠である。情報交換するために,英語上手になることも必要で あるが,その意味で,日本文化の歴史と伝統,その文化に根ざした教養を身につけ,自ら 問うて学び,日本人としてのルーツを失わないことが,それ以上に大切である。