『京都学派』の通史と哲学的評価から、現代社会の問題を提起する

 この度、総合教育の菅原潤教授が、講談社現代新書より、著書『京都学派』を出版しました。本書では、西洋哲学にも匹敵する独創的な哲学として高く評価される『京都学派』について、客観的な哲学的評価を試みるとともに、戦後、日本の海外侵略的姿勢に思想面から協力したとして、戦争協力の責任を問われた、その実態に迫っています。菅原教授はこれまでも、戦前の日本の思想を世界の哲学史の中に位置づけようと試みてきました。本書は、西田幾多郎に始まり、田辺元、そして「京大四天王」と呼ばれた西谷啓治、高山岩男、高坂正顕、鈴木成高といった、戦前の匆々たる哲学者を輩出した『京都学派』の流れを、黙殺されてきた戦後の動向も含めて通史的に追っています。そして、戦争協力の責任を問われた京都学派が21世紀において、どのように位置づけられるかを考察しています。
 菅原教授の本書出版への思いとともに、その内容について詳しく紹介します。

「世界最高」を目ざした最高の知性は、なぜ「戦争協力者」へと堕ちたのか?その命運を探る

本書は、次の6つのコンテンツで構成されています。

■プロローグ───なぜ今、京都学派なのか

■第一章 それは東大から始まった───フェノロサから綱島簗川   

■第二章 京都学派の成立───西田幾多郎と田辺元

■第三章 京都学派の展開───京大四天王の活躍と三木清

■第四章 戦後の京都学派と新京都学派───三宅剛一と上山春平

エピローグ 自文化礼賛を超えて───京都学派のポテンシャル

 プロローグでは、昨今の内外の情勢に触れながら、なぜ今、京都学派を取り上げるのか、それに関連する戦争や京都学派の特徴等について説明しています。第一章では、京都学派の前史として明治期の東大哲学科を取り上げ、そのスタッフが日本の哲学研究をリードできなかった理由を明らかにしています。第二章では、京都学派成立までの経緯を説明しながら、『善の研究』からスタートした西田幾多郎が独自の思索で提示した哲学に、田辺元が西洋哲学の全体を見渡した上での位置づけを試みたことによって「京都学派」が成立したと主張しています。その京都学派を発展させた後進の哲学者である京大四天王にスポットをあてたのが第三章です、問題となる座談会「世界史的立場と日本」、「近代の超克」についても、解説を交えながら説明しています。第四章では、京大哲学科の三宅剛一と人文科学研究所の上山春平を基軸に、戦後の京都学派の歩みを追跡。最終章となるエピローグでは、上山の自文化礼賛を超える視点に注目し、京都学派によるさまざまな問題提起を参考にして、新たな世界史的哲学を構築することが喫緊の課題だと示唆しています。
 菅原教授は、内外の情勢によって戦前に戻りつつある現在の日本を危惧し、「京都学派の哲学者たちの戦争協力から、今日のわれわれが学ぶべきことは、彼らが主張した、時流に乗った日本精神の正当化の論理は、端から破綻していたということである」と説いています。当時どうだったのかを見定め、現代にあわせて解釈することが本書の意図するところです。特に知識人や左派の運動家に読んでほしいという菅原教授。約5年の歳月を掛けて完成した本書を手に、「感慨深いものがある」と話し、その思いを次のように語っています(以下は『本』3月号、講談社、2018年)。

『ポスト戦後と京都学派』

 振り返れば、90年代後半が一つの転機だったと思える。 戦後50年を機に加藤典洋と高橋哲哉のあいだでアジア・太平洋戦争における日本とアジアの死者のいずれを追悼するかの議論が白熱し、また現在でも日韓の間でくすぶっている従軍慰安婦の問題がこれに連動して話題となった。当時はまだこれらの問題は、ポスト・モダンの延長線上にあるポスト・コロニアニズムの議論で容易に処理可能だという、今から見れば楽観的な雰囲気があった。けれどもこの頃すでにあの日本会議が結成され、戦前の神道イデオロギーを基調にした憲法改正を目指す運動が頭をもたげ始めていた。これは『中央公論』や『文芸春秋』を中心に展開されていた福田恒存、あるいは転向後の清水幾太郎の冷徹なリアリズムと異なる、はた目から見て気恥ずかしい自画自賛的で自己陶酔的な特徴を有している。
 けれども高度成長期を過ぎてはや40年、そのあいだに中国と韓国の経済的発展は目覚ましく、対する日本はクール・ジャパンと称してどこか江戸後期に似たいささか軽薄なサブカルチャーを世界に発信する以外に生き残る道はないかに見える。戦時中に跋扈(ばっこ)したアジア解放の勇ましいスローガンを歓迎する国はどこにもない。実を言えば座談会『近代の超克』でも評論家の小林秀雄を中心に「超克されるべき近代」を当時の日本は有しているかが問題視され、また超克の主導者であるはずの西谷が日本文芸についての素養の乏しさを吐露している。こうした事情を総合的に勘案すると、戦前の京都学派は従来見られているような排外主義的な思想の鼓舞ではなくポスト冷戦、あるいはポスト戦後に向けたグローバルな思想を提示したものとして評価すべきではないだろうか。
 今回上梓した『京都学派』は、前著『弁証法とイロニー』(講談社選書メチエ)に引き続いて、これまで西田幾多郎と田辺元の純正哲学的な議論と、多分に社会思想史的に処理された三木清と京大四天王(西谷、高山、高坂、鈴木)の議論を時系列的に解説し、さらに戦後の上山春平をはじめとする新京都学派も射程に収めて、これにかつて「戦前の思考」を提唱した柄谷行人の議論を併せて考察することで、左右のイデオロギーにとらわれない今後の京都学派的思想の方向性を模索したものである。読者の忌憚なき意見を期待したい。

 

 菅原教授は、京都学派の「正」と「負」、「今」と「昔」の両方を考察することが自分の使命だと考え、研究活動に取り組んできました。そこには、哲学の世界だけでなく、現代を生きる私たちにも通じる現実的な問題が提起されています。ぜひ、多くの方にご覧いただければと願っております。