欧米教育学説に影響を受けた日本の「教育学」と
そこから欠落した「体育」の変遷を明らかにした研究書

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 今日、身体教育に関する専門分野として体育学が存在するように、身体教育は教育学の範疇ではなく、別分野として位置付けられています。これに疑問を持った中野准教授は、身体教育について検討する最初の試みとして、日本における教育学書を年代順に比較・検討し、いつ頃まで「体育」が教育学に位置付けられ、どのように欠落していくのかを明らかにしました。学校教育の拠り所としては不完全な教育学を形成してきたことを指摘するとともに、身体教育の重要性についても言及しています。そして、この研究成果を世界に発信していくことも考えています。
 中野准教授に、本書の詳細と研究に対する思いについて語っていただきました。

 

「体育」はなぜ「教育学」で扱われなくなってしまったのか       

 私は高校時代に甲子園をめざしたものの夢叶わず、野球部の監督として生徒を育てることを次なる目標に定め、教職をめざし大学に進みました。この研究を始めるきっかけは、大学で教育学を専攻したことが発端でした。体育学ではなく教育学を専攻した理由は、教育学は教育全般を包括する学問であり、当然体育に関しても学べるものと考えていたからです。ところが、教育学では「体育」を扱わないということを、このとき初めて知りました。「なぜだろう?」と疑問に思いましたが、それが本書執筆につながっていくわけです。その後、ゼミで指導を受けた教授のご配慮のおかげで、体育について学ぶ機会を得ると、追究することの面白さに引き込まれ、もっと研究を深めたいと思い大学院に進学します。研究者への道を歩み始めるとともに、どのようにして「教育学」から「体育」が欠落していったのかを明らかにしたいと考え、本研究に取り組むことになったのです。
 まずは、歴代の教育学書を年代順に読み進め、「体育」がどう扱われていくのかを検討しました。明治時代には、身体教育は教育学の学問領域に位置付けられていました。当時の教育学書は、知育・徳育・体育の三領域に区分されており、「体育」において身体教育が述べられていましたが、時代の変遷とともに途中から言及しなくなることを発見しました。この事実をなんとか数字で明確にできないかと考えました。数値化の試みは、本研究の大きな特徴でもあります。また、先行研究では、「体育」の概念について、日本と西洋との関係が不明だったため、日本が西洋化をめざす以前の欧米教育学の流れを検討しました。これに日本の流れを結びつけて、「体育」の概念を再考しました。これらの研究成果をまとめたものが本書です。

本書は以下のとおり、序章・結章を含む6章で構成しました。

 

■身体教育研究序説 近代日本の教育学における「体育」の扱い方の変遷とその理由―

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第1章 「体育」に見られる日本の教育学に対する欧米教育学の影響
・第1節 「体育」の概念の概観  
・第2節 目次から見た「体育」の変遷  
・第1章の結論

第2章 翻訳教育書に見られる「体育」の扱い方
・第1節 三育説における「体育」の扱い方  
・第2節 ヘルバルト説における「体育」の扱い方  
・第3節 社会説以降の学説における「体育」の扱い方
・第4節 その他の学説における「体育」の扱い方  ・第2章の結論

第3章 日本の「教育学」書に見られる「体育」の扱い方
・第1節 「体育」を教育学の問題として扱う時代
・第2節 「体育」を教育学の問題として扱わなくなる時代
・第3節 「体育」を教育学の問題として扱わない時代
・補節 女子の教育学における「体育」の扱い方  ・第3章の結論

第4章 教育雑誌の「体育」記事に見られる「体育」の扱い方
・第1節 執筆者の分析  ・第2節 教育学者の「体育」の扱い方と「体育」記事との関係
・第4章の結論

結章

 第1章では、歴代の翻訳教育書と日本の教育学書を年代順に並べた表を作成し、それぞれの「体育」の概念について検討しながら、日本が欧米教育学の影響を受けていることを数量的に明らかにしました。第2章では、日本に紹介された欧米教育学説ごとに、「体育」の有無とそ%e8%ba%ab%e4%bd%93%e6%95%99%e8%82%b2%e7%a0%94%e7%a9%b6%e5%ba%8f%e8%aa%acimage003の理由について考察しました。その結果、最初に紹介された欧米の教育学は身体教育を意味する「体育」を扱うこと、しかし、それ以後の学説は、身体教育を意味する「体育」を扱わず、「体育」に言及しないものが大半を占めること、「体育」への言及が見られる場合でも、その「体育」は運動教育もしくは身体養護の意味であり、それらの意味での「体育」を教育学の問題として扱わないことを明らかにしました。第3章では、欧米教育学説が日本に紹介される経緯と、それらが日本の教育学書にどのように反映されていくのかを明らかにしました。第4章では、教育学で言及しなくなって以降の「体育」の担い手を検討するため、歴代の教育雑誌から「体育」に言及する記事を集め、それら執筆者の専門性を分析しました。教育学で「体育」が扱われなくなると、主な執筆者は体操教員(今日の体育教員)や医学関係者となり、教育学者が執筆する場合でも、専門家としてではなく、門外漢の立場で「体育」に触れていることを指摘しました。
 これらのことから、日本の教育学は欧米教育学の模倣に終始し、欧米教育学説にともない、「体育」を教育学の問題として扱わなくなっていったことが判明しました。
 これまで、日本における「体育」の変遷を辿ってきましたが、次は欧米における変遷を解明したいと考えています。実は、8月にアメリカのシカゴで”EDUCATION AND THE BODY”をテーマとした教育史学会に参加したのですが、身体教育という観点から「体育」を歴史的に捉える研究は行われていませんでした。現在、イギリスの大英図書館やアメリカの議会図書館、ドイツのベルリン州立図書館に赴き、年代順に教育学書を読み進めているところです。やはり欧米でも、日本と同じ傾向にあることがわかってきました。これらの研究成果を形にして世界に発信していき、未来における「知・徳・体の調和のとれた教育」の在り方について一石を投じ、世界的に見過ごされている未踏の研究領域の開拓や斬新な教育実践の創出を図ることで、世界中に新風を吹き込むことに挑戦していきたいと考えています。

 

「身体教育」の重要性と、体がいかに大事であるかを伝えたい 

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 元来、体に関わる全てのものが「体育」と見なされていました。例えば、視聴覚などの五感の訓練、語学・唱歌の発声術、描画術、農事や家事、手工など、日常生活における全ての技能がその対象とされています。また、衣・食・住の衛生も重視されていたため、住み良い住環境の整備もその役割と考えられていました。まさにロハスにつながる考え方といえます。しかし、今は、「体育=スポーツ」と考えられ、教育学に位置づけられるべき「身体教育」とは別のものとして扱われています。教育を考える上で、精神と身体の両面から、もしくは心身を一体とした観点から子どもに関わることが欠かせません。心や体のふれあいを通して、心身を育成する「身体教育」の重要性を指摘したいと考えています。私は幼い頃に重病を患い長期入院した経験から、身体の健康には関心を持ち続けてきました。体がいかに大事かということも伝えたいと思っています。
 今回、体育・スポーツ分野の著名な研究者が執筆されている不昧堂(ふまいどう)より本書を出版させていただけたことを大変誇りに思っております。ご支援・ご尽力をいただいた皆さまには、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。