人にやさしく

教授 浦部 智義

   本稿のタイトルは、「気が狂いそう…」の歌詞ではじまる、THE BLUE HEARTSの曲名である。パンクな 名曲をいくつもつくり出している、この名バンドの歌詞は演奏やパフォーマンスの激しさと裏腹に、どれ も人間味や優しさに溢れていると感じている。「叫ばなければ やり切れない思いを…大切に捨 てないで」 と、感受性の強い心を持つことで人に優しさを振舞う様になれると言いたげな 歌詞も、心のバランスを 保つ様々な気付きを与えてくれる。  考えて見れば、デザインをはじめとする建築という行為も、その時から未来に続く時間軸を意識して、 使われ方や人に与える印象を想像しながらカタチを提供するといった、人に働きかける行為である。薄学 な若輩が僭越だが、そこには、やさしい気持ちを持つだけでなく、やさしさを提供する振舞い、場合によ っては、人にやさしさを提供する役を演じることが求められている感じもする。  ところで、その様な意識を獲得するはじまりは、家族や友達どうしの間で、年齢と共に無意識から意識 的に、相手(周囲)のキャラクターを尊重しながら自分(や自分の考え) を何とか表現しようとする、 小学生くらいであろうか。その後、学校のクラスや部活動という様な単位において、はじめて自分のキャ ラクターと自分がいる小さな世界での役割分担を客観的に意識し始める個人がいる。そのあたりが公共性 を認識するはじまりであり、建築にも深く関係する様な、豊かな公共を提案し創造できる基本になるので はないかとも思う。  その様な思いやりや公共性を持った人(役者)が存在することが、色んな形で各個人をつなげ、(実働 が活発であることがベースだとしても)いわゆる活き活きとしたグループ、まとまりのあるクラス、楽し い部活となる条件である様な気がする。今の若い世代では、 その役割自体が消滅しはじめているといわ れているが本当だろうか(手段や表現が変わっただけだろうか)。その図式は大人の社会にも連続し、ど の時代でもある種の普遍性を持っているという証の一つとして、そういう役者がオペラやシェークスピア の戯曲、 芝居などでもストーリーを充実させるために良い道化師(ピエロ)として登場する。ある時は、 切り込み隊長、ある時は接着剤、ある時は主役にもなる道化師は、話を面白くする(豊かに創造する) ために必要不可欠な存在で、やさしさを振りまいている。  建築にも関係するまちづくり分野では、地域活性化が成功する条件として必要な3者は、@外部からの 視点を持ち古くからのしがらみに囚われない:「よそ者」、A斬新で新鮮な発想と行動力がある:「若者」、 B時に周囲から嘲笑されても自分の信じた道をはしる:「ばか者」、といわれている。個人的にはそれに 加えもう一役、道化師的な「役者」を必要とする気がする(「ばか者」が進化して その役割を兼ねても 良いか)。それが、ワークショップやまちづくりの牽引役となる有能なファシリテーターなのかも知れな いが、その役割には、関係者それぞれの立場をつくれる、やさしい振舞いは必須かなとも思う。  建築も似た様な側面があるが、やさしさの授受には時間差が生まれるものもある。 例えば、環境問題で 「地球にやさしい」という言葉が出て来る。二酸化炭素による温暖化やオゾンホールの問題など、特に近 代以降の人類の営みによって、地球が悲鳴をあげているので、地球を思いやりましょうと。しかし、地球 には長い時間を掛けて自分で自力回復できるか、或いは、それは難しいとしても太陽系の一惑星としては 存続できる能力があるという話もある。つまり、困るのは人間であって、「地球にやさしい」のではなく 「人にやさしく(地球を守ろう)」と言った方が適切なのかもしれない。環境問題に限らず、何かを持続 させるための創意工夫や振舞いが、次世代へのやさしさにつながるし、また、逆のことも起こり得よう。  次世代に関連して、昨今話題になっているChatGPT等の様な「自動生成AIツール」は、著作権やオリジ ナル性、また多岐にわたる職業の専門性をも脅かす存在として警戒もされている。タイトルの歌詞の中に 「期待外れの言葉をいう時は、…頑張れって言っている。聞こえて欲しい。あなたにも」というフレーズ があるが、今の価値基準を脅かすなどで安易に頼れない期待外れのツールからスタートしたとしても、最 終的には、同じく歌詞のフレーズ「人はだれでもくじけそうになるもの…今だって、僕だって」にある、 道標が見つけ難く何かとつまずきがちな現代、そこからから立ち直るキッカケを与えてくれる様な、人 (や社会)にやさしいツールであることを実感したいと思う。  そんなことを考えている自分はと言えば、時にパンクなTHE BLUE HEARTSの「やさしいうた」を聞き歌 いながら、幅広く解釈できる歌詞を手がかりに、「人にやさしく」という意識を持つことやそう振舞える 勇気と行動力を身に付けることを自分の目指す姿としながらも、よりやさしさを享受したいとも思ってい る未熟な大人(役者)であることを実感しているのである。