ピンポンパールに学ぶ『コミュ力』

教授 千葉 正裕

   今年1月、米紙ニューヨーク・タイムズに「2023年に行くべき52カ所」の一つとして、ロンドンに次い で2番目に紹介された、私の故郷、岩手県盛岡市。そこに、ある有名な桜が存在する。その名も『石割桜』。 円周約21mの岩を割って育った、樹齢350年から400年と言われるエドヒガンザクラで、国の天然記念物に も指定されている、日本でも珍しい桜だ。石割桜は盛岡地方裁判所構内にあるのだが、どうやら土の中か ら石を割って伸びたのではなく、落雷によってできた石の割れ目に桜の種子が入り込んで成長したらしい。 いずれにしても逞しい光景であることは間違いない。桜も好んでその場所を選んだわけではないだろうが、 生きるためにはどうにかして困難な状況を乗り越えていかなければならない。実は1932年に裁判所が火災 に見舞われ、石割桜も焼失の危機にあったが、庭師・藤村治太郎ら消防団員が必死に放水して守ったとい う。人の助けも借りながら、そこで350年以上も生き続けているのだから、人間には到底真似のできない、 神のなせる業ということだろうか。  所変わって、ここ16号館204号室にも、逞しく生きている者たちがいる。その名は『ピンポンパール』。 ピンポン玉のような丸々とした体型と、真珠状に輝く美しい鱗をもつ金魚だ。数年前から研究室で金魚を 飼い始めて、彼らは3代目になる。水質をきれいに保つことが重要で、水槽の掃除が欠かせないのだが、 ゼミ生の女子学生らが率先して掃除係を引き受けてくれている。ありがたいことだ。ピンポンパールもま た、自ら好んでこの場所を選んだわけではないが、どうにかして生きていかなくてはならない。だから必 死だ。私が水槽に近づくと寄ってきて、「餌をくれ!」と猛アピールする。ただ寄ってくるだけではなく、 口でピュッと水面を鳴らして伝えようとするのだ。人間に耳がある、音に反応することが判ったのだろう か。相手との意思疎通を図ろうとする、これも一種のコミュ力と言えるかもしれない。  人間には『言葉』というコミュニケーションの道具がある。相手の『言葉』を聞いて、自分の考えや意 思を『言葉』で返して意思疎通を図っている。ただし、コミュ力は単なる会話力ではない。大事なのは、 『察する力』だ。例えば、重い荷物を運んでいる人に「手伝いましょうか?」と声を掛けたとしよう。 「大丈夫です」と言われたら、その言葉通りに受け取って手伝わない人と、「この人は遠慮して大丈夫と 言っている」と察して手伝う人がいるだろう。その人の状況や言葉の裏に隠された心情までを察して読み 解くことが大事なのだ。『察する力』は物事の本質を見極める力でもあり、様々な場面、状況の中で、幸 運を掴みとるための必須アイテムとも言える。ピンポンパールにでさえ備わっている『察する力』が、今 の人間社会では失われつつあるように感じるのは、私だけではないだろう。  『察する力』が鈍っているということは、すなわち、『感じる力』が弱まっていることにもつながる。 感じることの一つに『感謝』がある。人はありがたいと感じた時に『感謝』の念を抱き、それを「ありが とう」の言葉にして相手に伝える。前述のような重い荷物を運んでいる人を手伝った時、きっと相手から 「ありがとう」と言葉を掛けられるだろう。感謝されるのは、実に清々しくて気持ちのいいものだ。だか ら、みんな誰かに助けてもらったり、良くしてもらった時には、その相手に「ありがとう」と言いたくな るはずである。が、そうでもないようだ。感情を表に出すことが恥ずかしいのだろうか。そもそも「あり がたい」などと思っていない、当たり前のことと思っているのかもしれない。とは言え、今の世の中を生 きていくには、人と上手く付き合っていかなければならないことは確かだ。特に、建築業界という場所に 身を置く者にとって、言葉を駆使して人間関係をいかに構築できるかが最大の成功の鍵を握っていると言 っても過言ではないだろう。  アメリカの心理カウンセラーであるレス・ギブリンは、自身の著書の中でこのように説いている。「成 功と幸福をもたらす最大の要素は、人間関係の技術である。人間関係の技術をしっかりマスターすれば、 成功への道のりの約85%と幸福への道のりの約99%の地点に到達することができる」。さらに、こんなこと も書いてある。「よい人間関係とは、自分が求めているものを手に入れるのと引き換えに、相手が求めて いるものを与えることだ」。つまりは、相手が何を求めているのか、相手を思い遣ることが大切なのだ。 感謝すれば、感謝される。人を敬えば、自分も尊敬される人になれる。『察する力』や『コミュニケーシ ョン能力』も、人間関係の技術とすれば、いろいろな人と関わらなければ身につけることは難しいだろう。 よりよい人間関係を築くとは、そういうことだ。  レス・ギブリンの著書には、「人間の習性をよく理解して初めて、成功と幸福を手に入れるきっかけを 掴むことができる」ともある。今日も水を鳴らして、必死にアピールしてくる水槽の中の主は、頼りにさ れるのが嬉しいという私の習性に気づいたのかもしれない。だから、「さっきあげたでしょ!」と言いつ つ、また餌を与えてしまう。「先生、やり過ぎですよ!」と女子学生に注意されながらも……