郷愁・憧憬・待望・勇躍

教授 浅里 和茂

   東京駅八重洲口DAIMARUの間を抜けて外堀通りを渡り,左手の地下鉄東西線日本橋駅へ向かう途中, 呉服橋の交差点を右に曲がると鉄骨骨組のモニュメントがあります。現在は三井住友銀行となってい るこの場所には,オフィスビルの嚆矢とも言える昭和28年(1953年)竣工の旧日本相互銀行本店があり ました。設計者は前川國男,構造設計が横山不学による地上9階,軒高31mの当時の高層建築は,1階 のオープンな空間と8,9階のホールのために軽量化と強さが求められ,SRCではなく純鉄骨造となり ました。さらに鉄骨接合にはボルトやリベットを使用せず,日本初の全溶接接合とする野心的なもの でした。建替の際にこの骨組の一部がモニュメントとして残され,きれいなディテールを間近に見る ことができます。構造デザインにおける昭和の断片です。  この創建が発行されて数日後には新しい元号が発表され,一か月もすれば平成も終わりを迎えます。 そのせいか昨年末あたりから平成を振り返る話題がマスコミを賑わせていました。紅白もユーミンと サザンですから,泣けました。松任谷由実の2曲は平成のジブリに使われておなじみですが,どちらも 独身「荒井由実」だった昭和48年(1973年)のデビューアルバムと翌年の2ndからです。声と容色の衰え は隠せないけれど,デビューを支えたティンパンアレーをバックに従え,正しい加齢を見せつけてく れました。ユーミンも桑田さんもあの頃はかなり年上と感じていたけれども,今となってはその年の 差も誤差範囲,貨物船がソーダ水のなかを通っていた山手のドルフィンも今は窓からマンションや火 力発電所の煙突が見えるばかりです。  昭和の高度成長期からバブルを経て平成の現在まで,建築構造工学も様々な発展を見せてきました。 現在の東京駅周辺のスカイラインは超高層ビルばかりですが,日本最初のそれは昭和43年(1968年)竣 工の地上36階,軒高147mの霞が関ビルです。  この超高層ビル建設への挑戦は昭和36年(1961年)に日立製作所製アナログコンピュータSERACが東京 大学に導入されてから武藤清先生を中心に本格化します。SERACは地震応答解析専用のコンピュータで すが,5質点までしか解析できず,パッチ盤でケーブルを差し替えてのプログラミングでした。今と比 べれば低速で非効率なマシンですが,実際の強震記録によりBi-Linearの弾塑性応答解析が可能である など画期的なものでした。武藤先生がこの質点系の応答を国際会議で発表した際,アメリカの研究者 から「ビルもダンスをするのですね」と賞賛されたそうです。  昭和38年(1963年)に建築基準法が改正され高さ制限31mが撤廃されると,霞が関ビルは当初計画の9 階から36階へと大きく舵を切ります。翌年退官した武藤先生はこの建設に大きく関わるようになり, その後に武藤構造力学研究所を設立,多くの超高層ビルの構造設計に携わります。  その後,霞が関ビルに続けと2年後の昭和45年(1970年)には地上40階,軒高152mの世界貿易センター ビル,さらに翌年に47階,軒高169mの京王プラザホテルが竣工すると新宿副都心に超高層ビルが林立 していきます。  平成に入ると平成3年(1991年)に48階,軒高241mの東京都第一本庁舎が丹下健三の設計で落成します。 武藤先生はこのために肩書きを整理されて都庁の仕事一本で臨み,スーパーストラクチャーによる超 高層ビルの代表作となりました。しかし,平成5年(1993年)には横浜ランドマークタワーが70階,高さ 296mで竣工して一位の座を明け渡します。海辺のランドマークタワーでは風荷重が地震力を上回るケ ースもあり,末広がりの形状とダブルチューブ構造が採用され,風揺れ防止の制振装置も設置されま した。しばらく一位を守り続けていましたが,現在は平成26年(2014年)に竣工したあべのハルカスの 60階,高さ300mが日本一となりました。  この約20年間の時間は2つのビルの外観形状の違いに現れています。平面の対称性を守り,どっしり とした印象のランドマークタワーとは異なり,北面だけが3段階にセットバックするあべのハルカスに は平成7年(1995年)の兵庫県南部地震以降の技術がふんだんに使用されています。下層階のCFTやセッ トバックの切り替え階を耐震ブレースによるトラス階とする構造デザイン上の工夫をはじめ,2種類の 制震ダンパーや倒立振り子を利用した制振装置,高強度材料として590N/・級の鋼材や150N/mm2 の現 場打ちコンクリートなどです。  平成23年(2011年)の東北地方太平洋沖地震を経験し,新しい元号を迎えた先には虎ノ門ヒルズと六 本木ヒルズの間に2022年竣工予定で65階,330m,冒頭の呉服橋交差点近くに2027年竣工予定で61階, 390mのオフィスビルが計画されています。  超高層建築とともに進化してきた耐震設計ですが,地震の強さだけではなく,長周期地震動やパル ス波のように地震の表情にも適した設計が求められるようになってきています。まだまだ,構造技術 者の仕事は尽きません。  サザンオールスターズがデビューするとき,今も所属するアミューズの大里洋吉氏は無名であった 桑田佳祐のボーカルを聴き,「この声となら心中してもいい」とマネジメントを決めたそうです。人 生意気に感ず,そんな仕事をしてみたいものです。