環境を考える

教授 廣田 篤彦

   神奈川県と千葉県は,かつては「近くて遠い」存在であったが,成田空港の開港(1978年)や東京 ディズニーランドの開園(1983年),東京湾アクアラインの開通(1997年)などにより,以前より 身近になっている。また,私が生産工学部に入学した頃は,既に横須賀線と総武線が相互直通運転を 開始しており,そうしたアクセスの向上が,当時,下宿ではなく通学を選択した(させられた)大き な理由の一つでもあった。  とはいえ,バスや電車を乗り継ぐと片道2時間・・。もはやこれはもう,ちょっとした小旅行の範 疇である。考えてみれば,神奈川県から,東京都を通り越して千葉県まで通うのであるから,結構な 大事である。例えば東北新幹線の場合,東京から2時間乗車すると岩手県まで行くことができるし, 上越新幹線なら日本海に辿り着くことまでできてしまうことを鑑みれば,交通網の発達が,我々の生 活に大きく影響を及ぼしていることを改めて実感する。  ところで,我が家から見て,たいそうな遠隔地に立地していた母校であったが,環境はなかなか 良いものであった。決して都会ではないものの,徒歩圏には東邦大学,順天堂大学キャンパスもあり (その後移転),ちょっとした学園都市でもあった。特に隣接する東邦大学は,薬学部ということも あって女子学生の割合が高いことから,昼食時はよく興味本位で「遠征」したことを覚えている。  一方,学内の環境はどうかと言えば,主に一年生を対象とした一般教養用の実籾校舎が新設された こともあり,特に新入生にとっての第一印象は良いものであった。また,高学年次用の津田沼校舎に 関しても,キャンパス全体の真新しさはないものの,施設面ではかなり充実していたように思われた。 例えば,製図棟内に配された製図室は各研究室の隣にあり,夜間や授業のない日は自由に使うことが できた。仮に1研究室あたり15人程度の卒研生がいたとしても,各部屋35台?を設えた空間は, 中々贅沢な環境であった。当時はまだ手書きの時代であったため,いわゆる切り貼りがスタンダード なプレゼンテーションであったが,4年生になると,コンペや卒業設計などで,エアブラシ(電動の 霧吹きのようなもの)なるものを屈指するのが最も高度な技法であるとされた。エアブラシによる プレゼンは綺麗で最強であったが,手間がかかるのと作業スペースの確保が最大のネックだ。色が はみ出さないようにマスキングをしながら着色するのであるが,この繰り返しが大きな手間で,何度 切れかかったことか(笑)・・。一方,当時大流行した切り貼りは,今となっては古典的な技法では あるが,低学年次のプレゼンとして今も利用される。当時は,図面を貼った台紙をA1判の色紙へ大 判コピーを掛けることから,その経費は学生にとって大変な負担であったが(紙代を含めて1枚千円 程度),近隣の画材店は,当時3千万円?もする大型複写機をこぞって導入し,それでも元が取れた というから驚きだ。いずれにしても一人当たりの作業スペースは広いに越したことはないし,キャン パス前や最寄り駅に画材店があるのも,特にデザイン系の学生にとっては恵まれた環境であったと 言えるだろう。  そうした「バブル期」を終え,その後徐々にデジタル化へと移行し,今では個人のPCで図面を描く 時代へと様変わりした。PCすら普及していなかった当時からすれば,考えられないほどの進化と言え よう。しかしながら,何から何まで全てが新しくなったかというと実はそうでもない。低学年次の 製図の授業は手書きから始めるし,何より,建築士の実技試験は今も手書きである。近い将来,実技 試験にもデジタル化の波が押し寄せると言われているが,紙やペンがタブレットやマウスに「征圧」 される時代が迫りつつある。  環境の変化は,何も建築に限ったことではなく,日常生活の中でも劇的に変わったことは結構ある。 かつては,まさか電話を持ち歩く時代が来るとは想像もしていなかったし,電子マネーや仮想通貨ま で登場するなど,利便性や快適性の向上は目を見張るものがあるが,一方で,それらを逆手にとる犯 罪や事故も高度化・複雑化しており,より緻密な対応も急務となっている。  ところで,ここ数年,気象に関わる環境が大きく変化していることをお気づきだろうか。ニュース や天気予報で,「数十年に一度の」といったフレーズを幾度となく耳にする。「数十年に一度」, あるいは「ただちに命を守る準備を」というレベルの災害が毎年のように襲来する,そんな時代に 突入しつつある。路上に水が溢れるほどの豪雨や,風速60m超の暴風,街中を縦断する竜巻など, かつてはあまり目にすることのなかった気象災害も格段に増えてきている。気象災害の多くは,地球 温暖化やヒートアイランドが起因とされており,進歩した都市活動の対価として,我々が対応して いかなければならない課題も,より深刻になってきている。  2011年,東北地方を中心に大惨事を巻き起こした東日本大震災の発生は,津波や原発の恐ろしさを 改めて認識させられたが,実は同規模程度の地震が30〜40年おきに同地域付近で起こっている。南海 ・東南海地震や首都直下地震の発生も切迫していると言われており,もしかすると,我々を取り巻く 環境は,むしろ益々悪化しているとも言えなくない。一口に環境といっても,様々なシチュエーショ ンが想定されるが,是非この機会に,環境に対してより関心を持っていただければ幸いである。