ポスト建設の時代に向けて

教授 速水清孝

 厳しい冬を越え,待ちかねた春が訪れるや,桜の開花を合図に草木がいっせいに芽吹く。 東北・福島の春は本当に美しい。さながらイギリスのようです。最近散策を重ねた磐梯町の, 慧日寺の周囲などは,まるで湖水地方にも似た,息を呑むほどの美しさでした。  震災とともに東北に来た私は,以来,福島のかなりの範囲を歩き,そして歩くたびに,そ うした表現は大げさではないとの思いを強くしています。  さて,私が学生時代より志し,そして今もいる建築の世界は,人が生活を営む環境を扱う 世界です。  その意味では,震災からの復興に向け,新たに物が建つのは喜ぶべきなのですが,心の片 隅ではそう手放しで喜べずにもいます。  それは,私が現に今取り組んでいるのが,建てることよりはむしろ,すでに建てられたも のを護る行為だからなのかも知れません。今まさに壊されようとしているものすら護ろうと する。いささかおせっかいで,「建築,すなわち建てる」という発想からすれば,矛盾にも 思われかねない行為です。  振り返れば,私が建築の道を選んだのは,建築の寿命は人の寿命より長く,それゆえに じっくり腰を据えて考えることの許される分野に思えたからでした。  時代の流れに素早く反応できるタイプでない私にとって,そのイメージはとても魅力的で した。きっと,建てるのはもちろん,その後,長い寿命をまっとうするまでの全てがこの分 野の対象なのだろうと想像してもいました。  ところが当時,1980年代後半の大学は,もっぱら新しく建てることしか扱わず,そのこと に違和感を覚える傍らで世はバブルへと向かい,長く使われるものだったはずの建築は,消 費財の位置に堕ちていきました。  勢いを増すばかりの,まさに「建設の時代」と言うべき状況に疑問を感じつつ,卒業後携 わった設計の実際は,経済行為でもあってじっくり考える余地はなく,せめてもと,自分の 手がけるものはできる限り長く持つよう心がけ,逆に,短命になりそうな仮設的な仕事は意 識して避けてきました。  それから20年余りが経ちました。21世紀に入って15年。でも,状況にさして変わりはない ようです。建築界はバブル以後の不況の時代をただ冬の時代と捉えて,寒さを耐えて過ごし ただけでした。今や震災復興とオリンピック(2020年)によって増えた量を背景に,「壊し て造ることこそ」という建設の時代が再び訪れています。  これほどまでに建物が粗末に扱われる時代が続き,あるいは繰り返されるとは思ってもみ ませんでした。     その姿は,欧米とは異なるようです。  この冬,良質な和を感じさせる建築として外国の要人からも評判の高い「ホテルオークラ 東京」(1962年)が,オリンピックを前に建て替えを決めたというニュースに,ワシントン ポストが「日本の取り壊し文化の犠牲者」と報じたと耳にしました。しかしそれを恥じる声 は聞こえてきません。常々「アメリカでは」「ヨーロッパでは」と舶来と見ればありがたが る日本人が,どうしてこの問題だけはそうしないのでしょうか。  こう書くと,いかにも復興の行く手を阻み,進歩を嫌う保守主義者のように映るかも知れ ません。  しかし私は進歩を否定しているのでも,懐古主義的に過去を賛美しているのでも,「何が 何でも全て残せ」と言っているのでもありません。  ただ私は,風景のように私たちの日常の背後にあるものには,できる限り断絶があって欲 しくないと思うのです。変化はあってしかるべきですが,そこには連続性があって欲しい。 変化を意識することなく変わるには,自ずとふさわしい速度と量があるのではないか,とい うことでしょうか。  どんどん建て替わることは,一見社会の活力を表すかのように映ります。若々しく,元気 の象徴にもなる。でも若い世代だけではないのが社会です。日常生活はそもそもそれほど進 歩的なものでもない。ましてそれを下から支える風景,そしてそれを構成する個々の建築に 求められるものもまた,本質的には同じでしょう。  どうしたら,そんな「ポスト建設の時代」(すなわち建設の時代以後の時代)を迎えるこ とができるのか。もちろん,社会にとってよく,できることなら,私にとっても心地のよい 形で。  その突破口になるのは,もしかすると田舎の民家なのではないか――。そう思ったことが, 私が地方を志したきっかけでした。都市の家は短命,田舎の家は長寿。100年建つものも珍し くない。ならば,都市の論理一辺倒から脱することができれば,建物が消費財でなく,資産 となる社会への糸口になるのではないか。  冬が厳しければ厳しいだけ,春が来た時の喜びも増します。なぜかこのことについては舶 来をありがたがらない日本の社会が,私が言うポスト建設の時代を受け入れるまでの冬は, きっと長く厳しいでしょう。心ある地道な取り組みもあるものの,それが社会の常識となる にはまだまだ遥かに遠い。  それでも,冬の後には必ず美しい春が来る。  冬の厳しい東北では,そのことが決して夢物語ではないと思えるのです。