希望の建築

特任教授 渡部和生

 東日本大震災から一年目に,共同通信の連載依頼に応えるべく「希望の建築」を執筆 し,新聞各社に配信されました。故郷の福島への郷愁と建築への思いを重ね合わせ,希 望につながるメッセージを送り,自らの人生を振り返ることにしました。  人は誰でも生きていく起点になる節目=ターニングポイントに出会うようです。私と 本学部との出会いは小学校の遠足でした。「はじめて見る大学」という課題の遠足で, 芳賀小学校から工学部までの徒歩の旅は,長く遠く感じました。白い体育着姿で,地面 にお座りして,大学生のお兄さんたちが,何故グライダーが飛ぶのかわかりやすく説明 してくれたのが印象的でした。それから郡山の母がつくってくれたお弁当を広げました。 大きく広がるキャンパスと今にも舞い上がりそうなグライダーのイメージ,それは私に とって初めての工学技術との出会いでした。  やがて建築家として歩み出すきっかけとなる大きな出来事がありました。「新建築」 の編集者から電話があり,日本建築家協会のJIA新人賞に応募するようにということ でした。私の作品は,地味な高齢者施設なので,無理があると思いましたが,ポートフ ォリオを提出すると現地審査まで進んでしまいました。磐梯熱海駅に審査委員の長島孝 一氏,岸和郎氏,團紀彦氏が到着しました。とても緊張し,地に足が着かない感じでし た。前日スタッフと審査の準備で現地に入りましたが,運悪く台風が来て暴風雨になり ました。もう駄目かなと思いましたが,翌日の審査日,台風一過で雲一つなく,「青天 は建築を救う」となりました。結果的には坂茂氏の紙の教会,坂本昭氏の白翳の家,私 の老人保健施設・桔梗が新人賞を受賞しました。前日暴風雨の中で審査を受けた作品と 台風の後の青天の中で審査を受けた私の建築とは,僅差でしたが運命を分けてしまいま した。  ほぼ同じ頃,大きな節目に遭遇しました。福島県立の大規模な学校の指名コンペに参 加する機会を得ました。ビッグチャンスでしたが,私が以前勤務していた事務所の所長 さんや大先生方と戦うのは,いかにも無理がありました。今現存する校舎を使いながら, 既存の教室位置に新しい校舎を新築するという難しい課題で,全力を尽くして案をつく りました。ヒアリングでは,厳正かつ本質的な質問を受けましたが,緊張のあまり,う まく答えられませんでした。結果的には,私たちの案が当選し,これまでにない大きな プロジェクトにチャレンジすることになりました。寛容な結果に導いた審査委員長は, 当時本学科の教授で建築計画の研究をされていた佐藤平先生でした。佐藤先生は今年亡 くなられ,告別式で棺を霊柩車に運ぶ時,少し軽く感じられ,悲しみが込み上げてきま した。改めてご冥福をお祈りしたいと思います。  その与えられたビッグチャンスを生かし,日本建築学会賞の作品賞に応募することに なりました。ポートフォリオから現地審査に進み,審査の前日現地に入りました。日頃 の行いが悪いため,今度は16年ぶりの大雪になってしまいました。郡山にしては珍しく 大きな積雪となり,薄く納めた屋根の上に,厚い雪の層が重なってしまいました。何よ りも,外観を審査する順路が積雪に阻まれ,歩けない状態です。すぐ所員を総動員して, 幅45cmの順路を雪掻きして歩けるようにしようとしましたが,半日でも僅かな距離しか 進めません。諦めかけた時,どこからともなくスコップを持って大勢の人たちが現われ ました。2年前に解散した施工会社の方々や職人さんたちでした。しかも雪面を汚さな いように車を入れず,人力だけで除雪してくれました。この建物は施工会社の方々も一 緒に,障害のある子どもたちとのワークショップに参加してくれたので,愛着を持って いて下さいました。審査結果は,安田幸一氏のポーラ美術館,陶器二三男氏の国立国会 図書館関西館,私たちの福島県立郡山養護学校の受賞が決まりました。このようにして 建築家の実力以上に,コンペの審査員,研究機関,発注者,施工者,編集者,建築賞の 審査委員の総意によって,運命が決められていきます。  大学を卒業し,社会人になったばかりの頃は,起伏の少ない野山を歩く,ワンダーフ ォーゲル的に建築士として生きるつもりでした。運命の悪戯によって建築家になり,時 々冬山の氷壁に張り付いているように思えることがあります。建築の設計過程で大きな 決断をする時,足元を見ると恐れが感じられます。しかし,現代では氷壁は一人で登る のではなく,キャンプを張り,チームでサポートします。自分の力を過信せず,周囲の 力を信じるのです。  本学部の正門からキャンパスに入ると,両サイドに美しい庭園があります。授業の合 間にベンチに座り,目を閉じると,遠足の白い体育着でお弁当を広げている少年時代の 私が見えます。大切な人との出会いも,未来の姿も,あらかじめ予測することはできま せん。けれども誰にでも人生を分ける出来事やチャンスが訪れると信じています。そし て,本学科のひとり一人が色鉛筆のように,異なる個性の「希望の建築」を見つけるこ とを心から願っております。