入浴中の事故 ロハスの家と福島の課題

教授 鈴木 晃

 3年ほど前になるだろうか。「人工衛星の破片が人に当たる確率が1/3,200」という ニュースが話題となり、宝くじに当たる確率と比べていかにも高そうな気分になった人 も少なくないようだ。だが、それは地球上の誰かに当たる確率であって(宝くじのほう は必ず誰かには当たることになっているらしい)、ある特定の人(たとえば私)に当た る確率は1/21兆となるらしい。そのあたりの事実をとらえながら、日本の「浴槽内で の溺死」を引合いにだし、その危険性のほうが今回の人工衛星の破片が当たるリスクに 比べ、6億倍にもなることを述べた記事があった(石井敏郎「人工衛星落下よりお風呂の ほうが怖い?」『Web R25』2011.9.26.)。  ヒートショックという言葉で認知されるようになってきた入浴中の事故、「寒い浴室 、暑いお湯」の温度差が主たる原因で、二つの地域性のなかで発現している。福島はお そらく日本国内でもハイリスク下にあると思われるが、それは必ずしも表面化しておら ず、そこには別の地域文化が影響しているのかもしれない。  人口動態統計(2010年)の「家庭内の不慮の事故死」によれば、「浴槽内での溺死」 が3,977人で、全体の家庭内事故死の28%を占め、転倒や転落、食物の誤嚥等による窒息、 火災などをおさえて最大の要因となっている。しかし話はそれではおさまらない。結論 から言うと、実態はこのおよそ5倍の人が、入浴中に浴槽で急死していると考えられるの である。話が少々ややこしくなって恐縮だが、要点だけは記すことにしよう。人口動態 統計の死亡統計は、医師の書く死亡診断書あるいは死体検案書がもとになっている。こ のうち、普段診療していない見ず知らずの死体を調べて、その原因等に関する判断結果 が記載される死体検案書では、必ずしも客観性をともなっていないものも少なくない。 とくに日本ではその判断のために解剖されることは少なく、判断材料は何もないという 状態も多い。同じ状況で浴槽で急死した場合でも、医師によって事故死と判断され「溺 死」となったり、病死と診たてられ、たとえば「心疾患」のなかにカウントされたりす る。事故死は世間体が悪いという家族の心情を配慮した病死扱いも、地域によっては少 なくないともいわれている。  東京消防庁と東京都監察医務院による実態調査(1999年)によると、入浴に起因して 救急搬送された事例では、「溺死」より「病死」扱いのものが多いのだが、両者に解剖 学的な差異は認められず、「病死」も含めて「入浴中の急死」という概念で把握すべき ことが提唱されている。その概念で推定すると、2010年では、全国でおよそ1万9千人が 入浴中に急死しているものと見積もられる。これは交通事故死の約2.6倍に相当しており、 より関心が払われるべき事柄であろう。  なお二つの地域性とは、国際的にみた日本、および国内でも北陸・東北地方における ハイリスク傾向である。前者は首まで湯に浸かる日本固有の入浴文化、後者は浴室周り の貧しい暖房環境による室内気温の低さが関係している。ちなみに外気温がより低い北 海道の脱衣室の温度は福井県のそれよりも高く、「浴槽内での溺死」率の順位は低い方 に位置している。ただし、いずれも「(浴槽での)溺死」という死亡統計でしか比較で きないため、入浴中の事故のリスクを正確に評価することはできない。福島県の「浴槽 内での溺死」率は、東北・北陸地方のなかでは高いとはいえない。死体検案書の記載の され方に、地域文化を背景とした隠された特徴があるのかもしれない。  首まで湯に浸かる入浴文化は健康に悪影響を与える側面がある一方で、おそらくスト レスの緩和といった好影響ももたらしているであろう。「寒い浴室」にそのような健康 増進効果を期待することはできるのであろうか。20数年前の会津若松での農家調査の折、 「寒い、でもこんなもんだ」と高齢者から評価されていた外風呂外便所の印象がいまだ につよく残っている。  WHO欧州支局によるHealthy Housingの要件では、災害や感染症から人命を守ることが 最優先課題である途上国のニーズから、多様化高度化した先進国のそれまでを幅広く扱 っている。現在の日本は、少なくとも平時においては前者の課題はおよそ克服し、後者 の課題に直面していると考えられる。ただ、特別な住文化を有することに起因して、人 命を脅かすリスクが放置されてきたことも事実のようだ。Healthy Housingに関する福島 の課題には確実に挙げられるテーマであろう。