「ロハスの工学」と建築学

教授 濱田幸雄

 入学試験の時期を迎えると,受験生から「ロハス」という言葉をよく耳にする。「工 学部の建築学科を志望した理由は?」「貴校のロハスの工学に興味がありまして...」。 受験生が口にする「ロハスの工学」は入試パンフレットに書かれている程度のものであ るが,何か面白そうだという思いは伝わってくる。このような受験生を受け入れる私た ちの側の用意はどうだろうか?そんな思いから「ロハスの工学」と建築学の関係について 述べてみようと思う。  「ロハスの工学」が工学部の教育・研究方針とされたのは1999年のことである。2002 年に次世代工学研究センターが整備され,2003年には環境保全・共生共同研究センター が設置された。2008年からは機械工学科の加藤教授を中心に,「ロハスの家研究プロ ジェクト」が始動し,「ロハスの家1号〜3号」が建設された。このような研究拠点整 備に対応して,工学部研究委員会で「ロハスの工学」のロードマップ作成作業が進めら れている。ここでの「ロハスの工学」の定義は,「健康で持続可能な生活スタイルを実 現するための工学であり,震災,原発災害と風評被害から,自立した復興を実現するた めに必要となる工学である」と。郡山の地にある大学として,工学的側面から地域の復 興・発展に積極的に参加していこうという決意を込めたものである。  ロハス(Lifestyles of Health and Sustainability)という言葉は,1990年代後半に アメリカのコロラド州ボールダー周辺で生まれたビジネス・コンセプトといわれている。 アメリカでは1962年に,レイチェル・カーソンが「沈黙の春Silent Spring」※を著し, 自然破壊,化学薬品が生物に与える影響を指摘している。この本の影響は大きく,故ケネ ディー大統領は大統領科学顧問団の生物科学委員会に殺虫剤危険調査を命じ,1963年に 公表された「ウィースナー報告」によりカーソンの主張が確認されている。しかしなが ら,現在も世界のほとんどの国で,化学薬品である殺虫剤は大量に使われている。この ような状況を黙認している国の政策と地球環境の持続性に危機感をもつ人々が,ビジネ スを通じて新しい価値観の創造を志したのがロハスの始まりとされている。経済的側面 から見れば,このような価値観をもつ人がアメリカには5000万人存在し,彼らの消費市 場は30兆円に達すると試算されている。  単なるビジネスモデルであれば,世界的にこれほど注目されることはなかったと思わ れる。産業革命以降,膨大な地球資源を消費することにより生活を豊かにしてきた人類 は,地球資源の枯渇,地球温暖化による異常気象に直面している。土壌は農薬に汚染さ れ,地下水の汚染も静かに進行している。土壌が汚染されることは,私たちの生活基盤 そのものが失われることを意味する。さらに,日本では急激な高齢化と少子化が進んで いる。このような状況を目の当たりにし,ようやく人々は持続可能な生活が今のままで は継続できないことに気づいたといえる。建築の基本は,風土に根ざして環境と共生す る居住環境を創造することにある。つい最近まで,建築環境工学は人が快適に暮らせる 空間の創造を目的としてきた。今を生きる私たちは,人が快適であるためには,美しく 豊な自然環境が周囲に存在しなければ成り立たないことを認識している。人が生きてい くためには,地球上のありとあらゆる生物が存在し続けなければならないことを多くの 人が感じている。私たちの周囲に広がる環境には,数え切れない種類,個体数の生物が 存在するが,それらは何億年という時間のフィルタを通して相互依存関係を構築し,私 たちの目の前に存在している。いわば不必要なものなど無いのが自然なのである。  私たちが引き続き地球上に存在するためにはどうしたらよいのだろうか。2007年にEU では「第三次産業革命の経済行動計画」を採択・宣言している。ここでは,自然エネル ギとネット社会が結ばれる水平パワーが第三次産業革命を引き起こし,エネルギ・経済 ・政治・教育・意識を変えるとされる。従来型の大量生産,大量消費,使い捨ての生活 スタイルから健康で持続可能な生活スタイル,つまりロハス社会への変更を宣言したも のといえる(具体的な内容は,2011年に発刊されたリフキン・ジェレミー著,「第三次 産業革命―原発後の時代へ,経済・政治・教育をどう変えていくか」に詳しく紹介され ている)。社会システムをどのように変革させるかは政治家にお願いして,建築に携わ る私たちは何をなすべきなのか。2000年に国内建築関連5団体が宣言した「地球環境・ 建築憲章」には,長寿命,自然共生,省エネルギ,省資源・循環,継承がキーワードと して挙げられている。建築学は工学である以上,具体的に「もの」を造り出さなければ ならない。しかしながら,その根底にあるものは社会システムが変わり人の価値観が変 わっても,地球上の生物を慈しむという普遍的な価値観なのだと思う。「ロハスの工学」 は持続的発展を遂げる社会をもたらすのか,今を生きる私たちに懸かっていることだけ は間違いない。 ※ レイチェル・カーソン著(訳:青樹簗一)『沈黙の春』が新装版として新潮社より   出版されている。