クラプトンの眼鏡

教授 浅里和茂

 織田信長の好んだ敦盛の一節と同じ年齢に先ごろなってしまったが,とりあえず健康診断では大きな異常もなく,今のところなんとか無事に過ごせている。
 少し前,たしかMTVのアンプラグドのイベントにエリッククラプトンが出ていたときのことです。たまたまテレビでこれを見ていると,譜面台を見つめるクラプトンの眼鏡がレンズの上下で屈折の具合が違っていました。偶然に照明の具合で分かっちゃったのですが,二重焦点つまり遠近両用だったのです。こちらにしてみればあのクラプトンが,です。かつてはアルコールや薬物で人生棒に振りかけたり,友達の奥さんを取っちゃったりした人が,です。これとほぼ同じ頃,ビデオアワードの表彰式にプレゼンターとして登場したのが昨年亡くなった俳優のデニスホッパー。封筒を開け,名前を読み上げる直前,サングラスをはずして別のものにかけ替えたのです。つまり老眼用です。こちらもかつてはハリウッドの放蕩息子と呼ばれ,アメリカンニューシネマの旗手となり,5回も結婚しちゃった人が,です。当時はこの人たちもそうなのかと思っていました。2006年のつま恋で吉田拓郎は自嘲を込めて,みんな歳をとっていい人になったと言いました。時間の経過は誰にも平等にやってきて,そういう自分も新聞を読むときには眼鏡をはずすようになったり,右肩の動きがわるくなったりしてきました。
 建物も時間を経れば老朽化しますし,利便性や新しい知見から改修を行うことが必要になってきます。クライストチャーチや長周期地震動を例に出すまでもなく,既存不適格となる建物の耐震補強は大事ですが,他にも仕上げ材の汚れや劣化,各種設備の更新など長く使用するためには手を入れ続けることが重要です。たとえば1968年に竣工した日本最初の超高層の霞ヶ関ビルは,1994年に完了するまで計画着手から8年もかけて,フロアや設備の更新を行いオフィスビルとしての競争力を維持しています。最近では耐震補強と同時にさまざまな改修を行うことで,内部の使い勝手を良くしたり,外見を一新させたりすることも頻繁に行われています。松屋銀座の耐震改修は成功例として知られていますし,公団住宅の2戸分を1戸とする改修も新しい手法として試行されています。
 これらは建物にとって幸せな例かもしれませんが,まったく異なる結末を迎えるのが赤坂プリンスホテル,現グランドプリンスホテル赤坂ではないでしょうか。丹下健三によるこの建物は1983年の竣工時に賛否両論,かなりの反響を巻き起こし,その後は建物よりもバブル時代のお祭り騒ぎによって,さまざまな伝説が生まれて有名になりました。ここが今年の3月31日に営業を終了して,取り壊しとなるのは,当時の大騒ぎを知っているだけに少し寂しい気がしますし,取り壊しの理由の一つが低い天井高であることは意外です。ここの天井高は2400mmほど,住宅では一般的な高さですがほかのプレミアムなホテルと比べれば200〜300mmほど低く,競争力が保てなくなってきたようです。日常的には十分満足できる高さとも思いますが,ただ眠るためだけのホテルとは違い,プラスアルファの晴れの気持ちや海外の役員クラスなどを対象としたときには,もの足りないことも事実です。同じ頃オープンした有楽町マリオン,ここの第2期竣工部分をエスカレータで降りていくと吹き抜け周辺の雰囲気がとてもよくて,今にもブライアンイーノが聞こえてきそうな気分でした。しかし,同じく変化の波に翻弄されていて,銀座・有楽町の推移を含めてとても気になります。
 技術的には地上40階,延べ床面積69,000平方メートルもの超高層ビルをどのようにして解体するのかが注目されます。これまでにも高層ビルの解体はありましたが,この建物の場合,群を抜く規模となり,環境問題,安全性,経済性なども含めてどのような工法が選択されるのか,今後も増加する解体工事の動向を左右することにもなり,とても興味をそそられます。
 壊されてしまう建物,竣工時のまま使い続けられる建物,内部・外部ともに変化しながらも生き残る建物,最初は周囲の景観からあまりにも浮き上がっていて,短命と思われながらも時を経て不思議と馴染んでしまった建物,さまざまですが設計者なら誰もが永く使って欲しいと思っていたはずです。
 建築の寿命とはそれ自身がもつ魅力だけではなく,その時々の社会情勢にも大きく左右され,まさしく時代に翻弄されてしまうものなのでしょうか。
 本当に,人も建物も上手に歳をとるのはむずかしいものです。