青春讃歌

教授 若井正一

 昭和の流行歌に「若いという字は,苦しい字に似てるわ〜」という一節があった。女性 歌手が哀愁を込めて歌うこの歌詞は,今でも耳に残る。若い時は,誰しも将来への不安や, 人間関係に悩み,苦しむことが多い。この歌を聴くと,自分が将来の進路や人間関係に悩 み,思うように行かない物事に翻弄されて,何度も挫けそうになった青春時代の苦い思い 出が,走馬灯のように甦る。その歌は,『悲しみは駆け足でやってくる』という題名で, 冒頭の歌詞は,二番目の歌詞である。ちなみに,一番目の歌詞は,「明日という字は,明 るい日と書くのね〜」である。この歌が,今でも私の心に残っている理由は,歌詞の中に 自分の姓と同じ「若い」が入っているからであろうと思う。同様に,歌詞の中に「若い」 という言葉が出てくる歌は少なくないが,私が思春期の頃に『若いふたり』という流行歌 があった。その曲では,「若い」という言葉が,何度も繰り返される。当時,その曲がテ レビやラジオから流れると,自分の名前が連呼されているようで,とても耳がくすぐった くなった覚えがある。  近年,個人で海外へ出かけることは,特に珍しいことではなくなったが,様々な生活文 化の違いから自分が日本人であることを気付かされる場合がある。かつて,私が,本学の 海外派遣研究員として英国に1年間滞在していた時,年齢のことで体験したいくつかの苦 い思い出がある。渡英して間もないある日,縁あって一人暮らしのご婦人のお宅へ知人と 午後のお茶に招かれた時の事である。そのご婦人は,外見からかなり高齢の方であったが, 手土産の折り紙を笑顔で喜んでくれた。伝統の紅茶は,ミルクがたっぷりと入って,とて も美味しかった。何気ない雑談の中で,私は,そのご婦人の年齢が気になり,「失礼です が,お歳はいくつですか?」と,尋ねた。その途端,続いていた談笑が途切れ,やや間の 悪い時が流れた。私は,年齢を知って,日本流に「お若いですね!」と言うつもりであっ たが,結局その返事はなかった。後日,そのご婦人が知人に「なぜ,私の歳を聞いたのか?」 と苦言を語っていたことを知って,大いに赤面した。英国では,初対面の人に年齢や職業 を尋ねることはタブーなのである。  さて,海外で生活をする日本人はその小柄な体型と似たような顔立ちから,年齢よりも 若く見られることが多いようだ。英国留学時の私は,三十代後半の歳であったが,留学先 で出会った人達からは実年齢よりもしばしば年下に見られた。そこで,少しでも年齢相応 に見えるように,「口ヒゲ」を生やすことに挑戦した。それまで無精ヒゲしか生やしたこ とがなかった自分にとって,初めての口ヒゲであった。当時,私の下宿先のご主人は,ケ ンタッキーおじさんのような白い立派なヒゲの持ち主で,時々,気持ち良さそうにヒゲを 撫でていた。しかし,私のヒゲがその様になるまでには,約1ヶ月かかった。そのヒゲの 調髪は,なかなか厄介で,なぜか,あごの下や左右の頬のヒゲは,あまり生えてこなかっ たのである。やむなく,鼻下から上唇までの間に生えたヒゲに絞って手入れをしたが,私 のヒゲは,そのまま放っておくとナマズのヒゲのように両端が左右に垂れ下がってしまう。 そこで,常に両端を上方に引っ張って癖をつけ,何とか一人前の口ヒゲにした。そのヒゲ を携えて,英国から欧州各地へ一人旅に出かけた。そのヒゲの効用なのか,幸い年下に見 られることはなくなったが,同じような黒ヒゲのアラブ系の人に声を掛けられたり,中国 人や韓国人等に間違えられたりすることが多くなった。そのヒゲがあまり気にならなくなっ たある日,旅先の安宿でふっと鏡を覗いた時,ヒゲの異変に気付いた。なんとヒゲの所々 が,白髪混じりになっていた。急に老いた気分になって,その朝にさっぱりと剃り落とし てしまった。若気の至りか,我がヒゲの寿命は,わずか3ヶ月足らずであった。  青春について,作家の五木寛之は,「誰もが1度は通りすぎる,そしてただ1度しか通 ることの許されない青春の門」とその著書に記している。また,芸術家の岡本太郎がテレ ビのコマーシャルなどで「芸術は,爆発だ!」と,燃え滾るように叫ぶ姿は,まるで万年 青年のようであった。  若い学生諸君にとって,昨年来の世界的な経済不況は,将来への不安や戸惑いが少なく ないであろうが,一度や二度の失敗を恐れず,大きな夢を抱いて青春を謳歌して欲しい。  最近,物忘れが気になりはじめた名前だけが「わかい先生」の呟きに,ご容赦をいただ ければ幸甚である。                 (大学院専攻主任・学科主任)