『聞こえない音に耳をすまし,聞きたくない音に耳を傾ける』

助教授 濱田幸雄

 昨今,巷間を賑わせている放送番組の捏造問題は,関西だけでなく在京キー局の番組で も指摘されている。その内容は,一般に人には聞こえないとされている20,000(20k)Hz 以上の周波数成分を持つ高周波(ハイパーソニック)を聞くことで,脳波のひとつであるα 波が出て,その結果集中力が増すというもの。裏付けとして,風鈴が置かれた学習塾や研 究論文を取り上げた。しかしこの論文は,音によって脳内の血流が増すとは言っているが, 集中力や記憶力に関しての研究は含まれていなかった。学習塾と,研究論文の扱いに捏造 があったのでないかと指摘されているのである。実はハイパーソニックの話は,20年以上 も前に学会内に大きな論争を巻き起こした話題なのである。ほんとうは聞こえるのかもし れない。いや,実験手続きに検討の余地がある,などいろいろな意見があり,結論はでて いない。  人の可聴域は20Hz〜20kHzというのが現在の音響学の常識である。そのため,サンプリン グ定理(サンプリング周波数は信号帯域の2倍必要)より一般のCDプレーヤなどのサン プリング周波数は44.lkHzあるいは48kHzとなっている。ではなぜオーディオ機器で192kH あるいは2.8224MHzサンプリングを謳うものがあるのか?その答えは,演奏音や楽器の音 には20kHz以上の周波数成分が確かに存在するからに他ならない。弦楽器,金管楽器,電 子楽器ではせいぜい10kHz程度までだが,クラベス,トライアングル,シンバルなどの打 楽器では100kHz付近まで音の成分が存在するのである。人には聞こえないから再生する必 要がない,だから本来ある情報だけど削除して構わない,このような考え方は音響技術者 としては許されないもの。値段が高くなったとしても,本来あるべき音まで再生できる機 器の性能を理解してくれる人が,あるいは日が必ずあるはずだと思いたいという,技術者 の心の叫びが,これらの機器を開発させているように思える。また,従来のLPレコード などアナログ録音による物理的な再生上限周波数は20kHz未満であるが,一部のオーディオ ファンの中には,CDにはない音が聞こえるという人がいる。これはアナログ機器特有の 理由,つまりLPレコードを例にとると,回転のむらによる音のゆらぎ,溝にできた傷あ るいはつまった埃による音の変化などが,感性に訴えている部分があるように思える。こ れに対して,ディジタル方式は記録された情報を完全に再生してしまうため,暖かみにか ける音,などと言われるのではないだろか。  日本のもの作りに警鐘が鳴らされている。先のLPレコードでも,オーディオファンを 納得させるためには,録音技術は勿論,レコード材料の品質確保,カッティング時の機器 のメンテナンスや操作,輸送時の変形防止など,全ての過程に高度な職人芸が要求されて いた。どこか一部でも手抜きがあれば,品質が保証されないのがアナログの世界だったの である。ところがCDにおいては,多少の傷があって情報の欠落が生じても,補償回路の 働きにより聞いた感じでは音質に差が現れない場合が多い。これでは,生産者・消費者双 方のメディアの扱いが多少ぞんざいになっても仕方ないように思われる。  映画業界や音楽業界では,アナログからデイジタルヘさらに符号化においては情報を圧 縮しない方式(PCMあるいはWAV)から非可逆圧縮のMPEG3.MPEG4への流れがどんどん加速 している。ディジタル技術の特質,インターネットとの融合,さらに安く手軽にという消 費者の要望を考えれば,当然の流れであり,この流れを変えることは現実的には不可能で ある。しかし,このままで本当によいのだろうか?実際,業界内においても,MPEG3,MPE G4などの符号圧縮技術の評価は,ディジタル技術の洗礼を受けていない人々にこそしても らうべきだという意見がある。もしかしたら,アフリカの奥地で,視力8.0,聴カレベル 20dBという人間本来の能力を駆使して獲物を追っている人々にとっては,非圧縮と圧縮の 差が,はっきり分かるのかもしれない。それなのに,疲れた目や加工された音しか聞いた ことのない一部の人が現在の技術の評価をしてしまっては,本来の情報を失ったメディア で,将来芸術を人々に伝えてしまうことになるかもしれないのである。  聞こえない音(声)に耳をすますのは,もの作りの原点であるばかりでなく,人間関係 においても基本である。批判は広く浸透するが当人の耳には入りにくいものであり,他人 の苦言も,自分に余裕がないときには素直に聞くことができず,あとからその有難さを実 感することが多いのもまた事実であろう。  卒業生の皆さん,自分のまわりの聞こえない音(声)に耳をすませていただきたい。聞 きたくない助言や苦言こそ,自分にとって価値のある情報と考えて,社会人として行動し ていただきたい。最後に,最も聞きにくい音,自分の身体や心の悲鳴には,最大限耳をす ませていただきたい。ご卒業を心よりお祝いし,ご健康をお祈りいたします。