『イノベーションと人づくり教育』

教授 大濱 嘉彦

 本当に月日のたつのは早いもので,昭和51年4月に日本大学工学部に赴任してから,はや 30年余の歳月が経過し,平成19年3月29日には古稀を迎え,日本大学を定年退職する予定で ある。「創建」への寄稿も,恐らく,これが最後になると思う。  昨年1月20日発刊の「創建」第117号でも,「少子高齢化と人口減の下での技術革新の重 要性」を指摘したが,今年1月の新聞や雑誌にも,このことが,今後の日本の重要課題と して大きく取り上げられている。政府は,第三期科学技術基本計画を踏まえた上で,「イ ノベーション25戦略会議」を設けて,今年の夏までに,2025年までの長期戦略の目標であ る「イノベーション25」を取りまとめる作業を積極的に推進している。ここで「イノベー ション(innovation)」という用語の定義は,社会システム・制度の革新をも含めた技術 革新と解釈されている(以下,そのような意味でイノベーションという用語を用いる)。 政府が,イノベーションに本腰を入れてきた意気込みを感じる。一方,今年は,大学,特 に私立大学にとっては,これまでに大学が経験したことのない節目の年,すなわち,大学 の定員と志願者数が同じとなる「大学全入時代」の始まりの年となる。このことは,大学 が大競争時代の波に,否応なしにもまれ始めたことを意味する。しかも,21世紀の知的/ 情報化社会では,インターネットの著しい発展に象徴されるように,競争は,イノベー ションも大学もグローバル化中にあることを十分に意識する必要がある。最近,世界の主 要国である米国やEU諸国,アジアでも中国,インド,韓国などでは,イノベーションのた めに,人づくりを含めた大きな役割が期待される大学・大学院における高等教育の強化策 に,格段と力を入れ始めている。その結果として,大学は,大競争時代の中での教育,研 究及び国際化の面で,その質を問われることとなってきた。大学のランキングも,国内だ けでなく,国際的な規模で実施されるようになった。そのような評価の中で,昨年秋発刊 のNewsweek(日本版)(通巻1022号,平成18年9月27日)」誌の世界大学ランキング及び 「週刊東洋経済(第6046号,平成18年10月14日)」誌の今までにない厳格な国内大学ラン キングにも,日本大学の名が登場しなかったことは,誠に残念である。しかし,平成13年 5月発刊の宝島別冊577号「わかる!学問の最先端大学ランキング(理科系編)」では,私 のかかわった研究の高い評価によって,日本大学工学部建築学科及び工学研究科建築学専 攻が建築材料・施工分野で,国内第五位にランクされたことは,私にとって永年の努力が 実り,望外の幸せであった。  以上述べてきたような背景の下で,我が国において,イノベーションを強力に推進する ためには,イノベーションの担い手となる,国際的に通用する優秀な人材の育成が急務で ある。大学において,イノベーションの担い手となる学生,特に,大学院生のための人づ くり教育は,いかにあるべきかを考えて,次の幾つかの提言を取りまとめた。(1)創造 力を育むように努力し,具体的には,何もないところ(ゼロ)から課題を設定する能力とそ れの解決能力,正解がない問題や複数の解がある問題を解決する能力などを養成する。文 献調査を十分に行い,たいていの場合,過去に他人が行った研究のテーマは,捨てる勇気 を持つように指導する。丸写しがいかに役立たないかを実感させる工夫をする。(2)幅 広い基礎学力(国語力と英語力を通してのテクニカル・ライティングカ,物理学,化学, 数学など理系学力,コンピューターを使いこなす能力など)と同時に深い専門分野の学力 を養成する。(3)他人の考えを正しく理解できると共に,自分の考えを他人に正確に伝 えるコミュニケーション能力を養成する。そのためには,プレゼンテーションカ,他人と の協調性やリーダーシップが要求されることを理解させる。(4)産業界との交流の場 (インターンシップなど)を多く体験させて,専門分野における実学が身に付くように指導 する。(5)咋年12月には,中央教育審議会の了承を得て,文部科学省が全大学に教育力 向上研修(faculty development)を義務付ける方針を打ち出したことも踏まえて,大学院 授業の抜本的な改善を提案したい。とにかく,教授の講義を聞くだけで,レポートだけの 採点によって成績を判定する方式を早急に中止し,緊張感のある授業を展開し,学部と同 じように筆記試験を行って成績を判定する方式に改めるべきである。(6)博士後期課程 では,進学者の増加のために,奨学金による支援は重要であるが,寺子屋式教育の原点に 立ち返って研究を指導し,博士論文の学問的レベルの向上に努めるべきである。博士後期 課程修了による博士の質を高めなければ,修了者自身が社会で信頼される研究者・技術者 にはなり得ないと考える。  定年を迎えるに当って,いろいろと苦言を呈する形となったが,今後の工学部建築学科 及び工学研究科建築学専攻を巣立つ学部学生と大学院生の育成に,少しでも資するところ があれば幸いである。