『音楽の都 ウィーンでの体験』

専任講師 浦部 智義

 ウィーンには,いわずと知れた世界最高峰のコンサートホールである音楽の殿堂「ムジー クフェラインスザール」と,小澤征爾氏が現在音楽監督をつとめるオペラの殿堂「ウィーン シュターツオーパー(ウィーン国立歌劇場)」がある。これらは,クラシック音楽ファンな ら一度は生で鑑賞・観劇したい劇場・ホールであろう。10年程前,博士論文の研究テーマと して舞台−客席関係を中心とした劇場・ホール空間の研究をしようと決意していた私にとっ ては,ヨーロッパを代表するそれらの劇場・ホールは研究対象としても外し難いものであっ た。  その研究・論文の内容は別の機会に譲るとして,今回は本格的な調査の前,下見として ウィーンのそれらの劇場・ホールにはじめて訪れた時に起こった出来事と,それを通して 感じたことをご紹介させて頂く。  シュターツオーパーにはじめてオペラ観劇に行った際,宿泊先のホテル前から路面電車 に乗ったのだが,カイドブックをホテルに忘れて降車駅がわからず非常に困った。そこで, 運転手に「シュターツオーパーに行きたい」と四苦八苦しながら伝えたら,「運転席の側 の席に座ってなさい」というようなこと指示され,降車駅直前にアイコンタクトも交えて 丁寧に教えてくれた。駅名は確か「Opera」だった(笑)。  少し脱線するが,同時期に訪れた幾つかのヨーロッパの都市では,オペラ公演のチケット を持っていると,夕方以降,劇場・ホールに向かう公共交通機関の運賃が無料になる場合 も多く,自国の文化に対する理解・協力度の高さを実感した。  チケットに記載されている座席は,6席のボックス席になっていた。他の5人はウィーン の人のようだったが,ボックスに入るとすぐにあちらから話しかけてきた。ドイツ語で挨 拶程度のコミュニケーションしか出来ない私に,身振り手振りで,「遠くから来たのだか ら6人で最も良い席に座って見て帰りなさい」というようなことで,チケット価格より良 い座席に座らせてくれた。オーケストラピット内での演奏がウィーン・フィルハーモニー 管弦楽団だったので,自分達の街が誇る世界一のオーケストラを自慢していたのかも知れ ないが(笑)。オペラ本編が終了した後のカーテンコールでは,出演者だけではなく舞台装 置(舞台上に背景として飾られた装置)も評価の対象とされているのにも感心させられた し,また真剣にブーイングしたり,周囲の人達が私にも「どうだった?どう思う?」と意思 表示を求めてくるのにも驚かされた。  オペラの終演は夜遅い時間だったが,劇場から出た多くの人たちが,遅くまで営業して いる劇場近くのレストランに楽しそうに会話をしながら吸い込まれて行った。それを横目 に見ながら,一人宿泊先のホテルに戻ったのだが,私もいつか研究としてではなく,観劇 後の食事も含めて,彼らのように純粋にシアターゴーイングを楽しみたいと思ったのを覚 えている。  次の日は,前出のムジークフェラインスザールとフオルクスオーパーというオペラ劇場 の見学に出かけた。ムジークフェラインスザールは,メディアなどを通して触れていたせ いか想像していた以上に感じたことは少なかったが,庶民的な感じを受けるフォルクスオー パーがとても気に入った。デザインもややメルヘンチックで小慣れているとはいい難いが, 小ぢんまりとしたその感じが,ウィーンという街に馴染んでいる感じがしたのである。初 めて目に入った時のシーンを写真におさめたのだが,手前の路面電車の上下に塗られた国 旗の白と赤のイメージが,薄暮に佇み照明された外観のクリーム色と旗の朱色に変わって, 一層そう感じさせたのかも知れない。劇場内部もクリーム色と朱色で装飾なども派手過ぎ ず落ち着きがあり,規模も一体感を感じさせる適度な大きさだなという印象を受けた。建 築雑誌や劇場・ホール建築専門誌には取り上げられることの少ない劇場が,こんなに良い 質を持っているのかとウィーンの音楽文化の奥深さも知らされた。余談だが,後年ユーゲ ントシュティール様式で建てられた「コンツェルトハウス」にも訪れ,そこでもウィーン の表層だけでない音楽文化の充実振りを実感することとなる。  この日は,宿泊先までタクシーで帰ったのだが,ドライバーと「ムジークフェラインス ザールを見学してきた」という会話を少し交わすと,「見学じゃつまらなかっただろう。 是非これを聞いて帰ってくれ」といわんばかりに,やや大きめの音量でモーツァルト音楽 の入ったテープを車中で流された(笑)。  前日の出来事と相俟って,ウィーンの人達に少々お節介な感じも受けたが,何だかとて も心温まる気分にもなった。国民性もあるのかもしれないが,外国人をはじめとする観光 客に衒いなく誇れる文化を持っているということ(と気持ち)にとても羨ましさを感じた。 クラシック音楽でなくても何でも良いのだが,自分達も自国の文化を大切に扱ったり,そ れを体験する人をもてなしたりといった行動ができるだろうか,と考えさせられた。  人に感動を与えられる文化(活動)をつくり上げることは一朝一夕ではいかないことを 再確認させられたり,建築計画の立場から自分が取り組んでいる研究課題やテーマで,そ れにどの様に寄与できるのだろうか,ということを考えさせられた2日間であった。