『2000年度日本建築学会大会を終えて』

教授 岩ア 博

 昭和50年(1975年)に事業認可を受けた郡山駅前再開発事業も,二十有余年が過ぎた  皆様,御承知のとおり,日本建築学会は,今から114年前の明治19年に,首都の玄関口 として,赤レンガの駅舎として親しまれている東京駅や金融の総本山,日本銀行の設計 で著名な辰野金吾先生等を中心に26名で発足し,現在,会員数約38,000名を擁するわが 国最大級の学会となり,建築・都市に関する学術,技術,芸術に関する団体として,社 会から頼りにされている存在です。  この学会が毎年1回,各地域ブロック持ち回りで開催されているのが日本建築学会大 会です。もちろん,建築界最大のイベントで,会期中は2万人を超える参加者が6000題 を上回り始めた最新の研究成果の発表はもとより,近年,社会や市民のニーズにもとづ く住民や子供向けの記念講演会,各種シンポジウム,パネルディスカッション,作品展 示会等多彩な催しが実施され,第一線の学者,知識人,タレントや住民等を交えた討論 が展開されます。さらに,親密な情報交歓の場としての各種懇親会,交流会が開催され, その地域の建築や都市のあり方ばかりでなく,住民生活に大きなインパクトを与えるこ とは,容易に理解できます。  今日の技術社会は,一面では,グローバル化,国際化の方向を目ざしているようです が,建築はもともと土地に定着した構造物ですから,地域の生活や風土等ローカルスタ ンダードにも強く影響を受けるわけです。このようなことから建築学会では,これから の「もの」づくりの基本姿勢を,学会の英知を集め,推こうを重ね,昨年の総会で議決 し,公表いたしました。そこには,キーワードとして「・・・・・・それぞれの地域に おける固有の歴史と伝統と文化を尊重し・・・・・・」とあり,建築を志ざす者の社会 貢献のあり方,使命感を表明しております。このような背景から,大会は出来るだけ, 地域にわけ入り,より身近な所で開催されることが,地域の「生活の器」の向上にとっ て望ましいわけですが,残念ながらこれだけの大きな大会を成就させることは,地域ブ ロックの中枢都市以外では考えにくいと思われ,事実,この東北ブロックでは,仙台以 外で開催されたことはなく,郡山市のような中小都市での開催は,新たな挑戦でもあっ たわけです。  昨年,学会よりの開催依頼の照会をうけたとき,正直なところ,若干の困惑もありま したが,学科の先生方,大学当局,関連市町村,団体等の開催への強い意志と熱意,わ けても本学学生諸君のホスピタリティーと奉仕の志に富む高い資質がこの大会の成功を 呼び込めると確信し,受諾いたしました。  会期中の3日間は,事前の会場,交通,宿泊,受付け,会計,懇親等,充分な計画と シミュレーションにより混乱もなく,日中,残暑きびしい問は,曇天で,夜間,小雨と 天まで味方してくれました。参加された方々からは,直接,間接(車中での乗客の会話 等),運営に対して,過分のおほめをいただきましたが,とりわけ高い評価を得たのが 日盛りの最中の会場案内,交通整理,受付け,会場整備等,裏方を真撃に,一手に支え てくれた学生諸君へのもので,これまでの開催地に比べ格段に高いものでした。また, 会場となった教育環境も自然豊かな中,ゴミや落書きのない清潔感あふれるもので,常 日頃,維持管理に尽力されている大学当局とこれを遵守してきた学生に対し,全国から の多くの参加者が強い印象をもち,帰途につき,長く語り草となることでしょう。  終わりにあたり,本市のような中小都市での今世紀最後の記念すべき大会が,大成功 に終り,新世紀への大会のあり方を示唆できたことに,只々感謝するとともに御支援い ただいた多くの方々に御礼申し上げるしだいです。         (主任教授)